る軍人精神のおかたまりを指すのであった。十分尊敬の意味は含まれているんだが、しかしまた、戦術がへただとか融通がきかないとかいうそしりの意味もないことはなかった。
僕が陸軍の幼年学校から退学させられて家に帰った時にも、
「お父さんはあんなにおとなしい方だのに……」
と、よくいろんな人に不思議がられた。そしてそのたびに、僕の家のことをもっとよく知っているらしい誰かが、
「それやあなたはお母さんをよく知らないからですよ。」
と僕のために弁解してくれた。
実際僕は父に似ているのか、母に似ているのか、よく知らない。もっとも顔は母によく似ていたらしい。
「そんなによく似ているんですかね。でも私、こんないやな鼻じゃないわ」
母はよく僕の鼻をつねっては、人にこう言っていた。
母は綺麗だった。鼻も、僕のように曲った低いのではなく、まっすぐに筋の通った、高い、いい鼻だった。
父が近衛の少尉になった時、大隊長の山田というのが、自分の細君の妹のために婿選びをした。そして二人候補者ができたのだが、ついに父の手にそれが落ちたのだそうだ。
その当時母は山田の家にいた。なかなかのお転婆娘で、よく山田の出勤を待っている馬に乗っては、門内を走らして遊んでいたものだそうだ。
「この母方のお祖父さんというのが面白い人だったんだそうですね。大阪で米はんにいろいろ聞いたんだが、あんまり面白いんですっかり忘れちゃった。が、兄さんなんかはこのお祖父さんの血を受けているのかも知れないね。」
いつか次弟の伸といろいろ近親のものの話をした時、弟がこう言って、しきりに折があったら米はん(従兄)にその話を聞いて見るように勧めた。
それまで僕は、母方の親戚では、山田の伯母と、そのすぐ次の妹の米はんのお母さんと、それからお祖母さんとだけしか知らなかった。そしてこのお祖父さんについては、何にも聞いたこともなく、また考えて見たこともなかった。お祖母さんが妙に下品な人だったので、母の家というのも、ろくな家じゃなかったろうくらいにしか考えていなかった。
それにこの米はんが大阪のある同志と知っていて、その同志との間によく僕の話をするということも聞いていたので、多少なつかしくも思っていた折だった。で、その翌年であったか、もう二、三年前になるが、大阪へ行ったついでにしばらく目で米はんを訪ねて見た。米はんはお祖母さ
前へ
次へ
全117ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大杉 栄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング