するが、君等の態度をはっきりきめろ」と言った。二人は中立を誓った。で、僕はすぐに、まず大きな方の佐藤を呼び出した。同期生じゅうで一番大きな男で、撃剣も一番うまかった。器械体操場の金棒の下へ連れて行って、そこでいきなり殴りつけた。げんこは眼にあたった。彼はほろほろ涙を流して、黙ってその眼を押えていた。そこへ浜村と坂田とが心配して見に来た。そして二人の中へはいった。河野はすぐに好意を見せて来た。そして五人は、五人組をつくって、何でもの悪いことの協同者となった。
四、五年前に、ふとこの佐藤が訪れて来た。子供の時の友達だというので、誰かと思って玄関へ出て見たら、昔のままのせいの高い顔一ぱい濃い髯の彼だった。連隊長とかと喧嘩して予備になったんだそうだが、今になって止されるくらいなら、あの時分一緒に退校されるんだったなあなどと、職業の世話を頼みながら今の僕をうらやんでいた。その後南米行き移民の監督か何かにありついたとか言っていたが、どうしたか。そしてついうっかりして、昔僕が殴った眼の中の赤い疵[#「疵」は底本では「やまいだれ+比」]のあとが、まだ残っているかどうかも見落してしまった。
撃剣は佐藤の次が僕だった。器械体操は佐藤と河野と僕とが相伯仲していた。が、駈足は僕が一人図抜けて早かった。僕等の班長をしていた河合という曹長が、これも駈足をお得意としていたが、いつも口惜しがりながら僕のあとについて来た。
学科の済んだあとで、毎日そんな遊戯をやらされていたが、そのほかにもよくフットボールや綱引をやった。そしてこの二つの遊びでは、班長が組を分けるのに困ってしまった。最初前列と後列とに分けた。すると幾度やっても僕のいる前列が勝った。で、こんどは、僕一人だけを後列の方の組に廻して見た。後列が勝った。フランス語の組とドイツ語の組とに分けても見た。が、それでもやはり僕のいるフランス語の方が勝った。仕方なしに班長は「君はそばで見ていろ」と言って、僕を列の中から出してしまったこともあった。
が、困ったのは遊泳だった。
最初の夏は、伊勢のからすという海岸へ遊泳演習に行った。
先生は観海流の何とかいう有名なお爺さんで、若い時には伊勢から向う岸の尾張の知多半島まで、よく泳いでは味噌を買いに行ったという話のある人だった。学校にはこの伊勢出身で、観海流の三里や五里という遠泳に及第したものもい
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