ト、一〇九八生
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市ヶ谷から(二)

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 堀保子宛・明治四十一年一月二十八日
 出てからまだ二た月とも経たぬうちに、またおわかれになろうとは、ほんとに思いも寄らなかった。革命家たるわれわれの一生には、こんなことがいずれ幾度もあるのだろうと思うが、情けないうちにもなお何となく趣きのある生涯じゃないか。どうぞ「また無責任なことをして」などと叱っておくれでない。それよりか清馬※[#始め二重括弧、1−2−54]今大逆事件で秋田に終身ではいっている坂本清馬のこと※[#終わり二重括弧、1−2−55]が口ぐせのように歌っていた「行かしゃんせ行かしゃんせ」でも大声に歌ってくれ。
 とは言うものの、困ることは困るだろう。お為さんに頼んで、隆文館に事情を話して、少なくとも、もうテンぐらいはとって貰ってもよかろう。安成※[#始め二重括弧、1−2−54]貞雄君※[#終わり二重括弧、1−2−55]から『新声』の原稿料をよこすだろう。毎度ながらまた紫山に少し無理を言え。それからこの次の面会の時に洋服を宅下げするから、飯倉※[#始め二重括弧、1−2−54]質屋※[#終わり二重括弧、1−2−55]へでも持って行け。それでともかくも本月はすませるだろう。来月は例の保釈金※[#始め二重括弧、1−2−54]電車事件の際の※[#終わり二重括弧、1−2−55、279−2]でも当てにしているがいい。
 枯川はしきりに同居説をすすめる。それはあなたの自由に任すが、ともかくもこの際今の家をたたんでしまった方がいいと思う。どこでもいいじゃないか、当分の間のことだ。経済上は勿論、一人で一軒の家を構えていては、いろいろ不便で困るだろう。できるなら本月中に何とかするがいい。
 山口に至急本を差入れてくれ。小さい方の本箱の上にある、竹の棚の中の英文の本がみなそれだ。たしか七冊あったと思う。それに『源氏』と『法華経』と『婦人新論』と『新刑法』とを入れてやってくれ。『新刑法』は小冊子だ。やはりその竹の棚の中にある。持って行くのは、宇都宮か誰かに頼んだらよかろう。それから古川浩のところに事情を話して、差入れのできないことを言ってやってくれ。
 手紙は隔日でなければ書けない。余は明後日に。手紙は誰にも見せるには及ばん。さよなら。
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 宛先不明・明治四十一年一月二十八日
 またやられたよ。しかし今度はまだろくに監獄っ気の抜けない中に来たのだから、万事に馴れていてはなはだ好都合だ。ただ寒いのには閉口するが、これとても火の気がないというだけで、着物は十分に着ているのだから巣鴨の同志のことを思えばそう弱音もはけない訳さ。窓外の梅の花はもう二、三分ほど綻びて居る。寒いと言ってもここ少しの辛棒だ。
 今クロポトキンの『謀反人の言葉』という本を読んでいる。クロがフランスのクレボーの獄にはいって二年半あまりを経て、その同志にして親友なるエリゼ・ルクリュが「クレボーの囚人はその監房の奥からその友人と語るの自由を持たない。しかし少なくとも彼の友人は、彼を思出し、また彼のかつて物語った言葉を集めることはできる。そしてまた、これは彼の友人の義務である。」と言って、クロが一八七九年から一八八二年の間、無政府主義新聞『謀反人』に載せた論文を蒐集したものである。『パンの略取』は理想の社会を想望したものとして、『謀反人の言葉』は現実の社会を批評したるものとして、ともにクロの名著として並び称せらるるものだ。
 クロはいわゆる「科学的」社会主義の祖述者のごとくに、ことさらに、むずかしい文字と文章とを用いて、そして何だかわけ[#「わけ」に傍点]の分らない弁証法などという論理法によって、数千ページの大冊の中にその矛盾背理の理論をごまかし去るの技倆を持たない。しかし彼は、いかなる難解甚深の議論といえども、きわめて平易なる文章と通俗なる説明とを用いて、わずかに十数ページの中にこれを収むるの才能をもって居る。世界の労働者の中に、『資本論』を読んだものは幾人も居ない。しかし『パンの略取』と『謀反人の言葉』は、少なくともラテン種の労働者の間に愛読されている。
 クロは常に科学的研究法に忠実である。その『謀反人の言葉』は、まず近世社会の一般の形勢に起して、国家と資本と宗教との老耄衰弱し行くさまと、またその荒廃の跡に自由と労働と科学の新生命との萌え出づるさまを並び描いて、そして近世史の進化の道が明らかに無政府共産主義にあることを説明して、最後に「略収」の一章においてその大思想を略説結論して居る。その中の主なる、「青年に訴う」、「パリ一揆」、「法律と権威」、「略収」の数章は、すでに小冊子として英訳が出て居る。
 この露国の『謀反人の言葉』は、今東京監獄の一監房の隅において、その友と語るの自由なき日本の一謀反人によって反覆愛読されつつある。
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 堀保子宛・明治四十一年一月三十一日
 手紙が隔日に二通ずつしか書けないのみならず、この隔日もまた折々障礙せられるので不便で困る。二十五日に書こうと思ったら、監獄に書信用紙がないと言う。次の二十八日には、大阪へ出す手紙を書いている中に時間が来て監房へ連れて帰られる。昨日はと思ったら、何とか天皇祭とかで休みだと言う。そんなことで今日ようやく第二信を書く。
 あちこちから「未だ健康も回復しないうちにまたまた入獄とは」というのでしきりに見舞いが来る。ところが、入獄の時に体重が十四貫五十目あった。巣鴨を出る時に較べれば一貫三百五十目増えている。また先きに巣鴨にはいった時に較べれば百目ばかりしか不足していない。そしてこの百目はたしかに本郷警察の二日と警視庁の一日とで減ったのだと思う。すると僕の健康はもう十分に回復していたのだ。幸いに御安心を乞う。
 かえってまだ碌に監獄っ気の抜けないうちに来たのだから、万事に馴れていて、はなはだ居心地がいい。飯も初めから十分に食える。ただ寒いのには閉口するが、これとても火の気がないというだけで、着物は十分に着ていられるのだから、巣鴨の同志のことを思えばそう贅沢も言えない訳だ。しかし寒いことは寒いね。六時半から六時まで寝るのだが、その間に幾度目をさますか知れない。それでも日に日に馴れて来るようだ。
 この寒い中に二つ楽しみがある。一つは毎日午後三時頃になると、ちょうど僕の坐っているところへ二尺四方ばかりの日がさして来る。ほんのわずかの間の日向ボッコだが非常にいい気持だ。もう一つは三日目ごとの入浴だ。これが獄中で体温をとる唯一のものだ。僕のような大の湯嫌いの男が、「入浴用意」の声を聞くや否や、急いで足袋とシャツとズボン下とを脱いで、浴場へ行ったらすぐ第一番に湯桶の中に飛びこむ用意をしている。
 あなたはこの寒さに別にさわりはないか。また巣鴨の時のように、留守中を床の中で暮すようでは困るから、できるだけ養生してくれ。面会などもこの寒さを冒してわざわざ三日目ごとに来るにも及ばない。
 もう転宅《ひっこし》はしたか。あんなところではいろいろ不自由なこともいやなこともあろうけれど、まあ当分の間だ、辛棒していてくれ。そして職業なぞのことはどうでもいいからあまり心配をしないで、もう少しの間形勢を見ていてくれ。
 留守中、かつて幽月※[#始め二重括弧、1−2−54]故菅野須賀子※[#終わり二重括弧、1−2−55]の行っていたところへ英語をやりに行かないか。勉強にもなるし、また少しは気のまぎれにもなるだろう。お為さんによろしく。真坊はどうしている。
 寒いので手がかじけてよく書けない。御判読を乞う。
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 堀保子宛・明治四十一年二月五日
 一昨日手紙を書こうと思ったら、また用紙がないと言う。そして今日もまたないと言う。いやになってしまう。やむを得ずハガキにした。またさびしいさびしいと言って泣言を書き立てているね。検閲をするお役人に笑われるよ。
 手紙はできるだけ隔日に書くこととする。あなたの方も、も少し勉強なさい。二十三日のハガキと二十七日の封書とが着いたばかりだ。
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 堀保子宛・明治四十一年二月十三日
 保釈はまだ何とも言って来ない。もし許されたらすぐ電報で知らせる。
 兄キの子供が死にそうだとか言っていたが、その後どうしたか。いやだなぞと言わずに、たまには行って見るがいい。そして毎度毎度ではなはだ済まないような気もするが、少しは何とかして貰うさ。
 面会をああ長く待たせられて、そして、ああ短かくすまされては、何とも仕方がないね。これからは月に二、三度も来れば大がい用も足りるだろう。そしてそのかわりにもう少し手紙をくれないか。かまわないから大いに森近夫人式にやるさ。
 この前の面会の時にまたひっこす[#「ひっこす」に傍点]とか何とか言っていたが、それはいろいろ嫌やなことも不自由なこともあろうけれど、なるべくならあまり面倒なことをしないで、今のところで辛棒していたらどうだろう。わずか二た月ばかりのことじゃないか。
 南はどうしている。出たことは出たが、やはり困っていやしないか。そのほかの連中はみなどうした。
 僕は、こんど出たら少し小説の翻訳をやって見ようと思っている。短かいのでやりやすいようなのが、二つ三つ今手もとにある。小説が一番金になりやすくてよかろう。
 兵馬にツルゲーネフとゴーリキーの小説を送るように言ってやってくれ。翁からの手紙によればもう肺結核が二期にまで進んでいるんだそうだね。
 福田、大須賀の二女史から見舞いが来た。会ったらよろしく言って置いてくれ。
 この手紙はたぶん裁判所へ廻らないで、すぐ行くかと思う。さよなら。
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 堀保子宛・明治四十一年二月十七日
 昨日は何だか雪でも降りそうな、曇った、寒い、いやな日だった。こんな日には、さすがにいろいろなことを思い出される。夜もおちおちと眠れなかった。窓のそとには、十二、三日頃の寒月が、淋しそうに、澄みきった空に冴えていた。
 僕の今いるところは八監の十九室。一昨年はこの隣りの十八室で、長い長い三カ月を暮したのであった。出て間もなく足下と結婚した。しかるにその年のうちに、例の「新兵諸君に与う」でまた裁判事件が起る。そして、年があけてようやく春になったかと思うと、またまた「青年に訴う」が起訴される。その間に、雑誌はますます売れなくなる。計画したことはみな行き違う。ついに初めての家の市ヶ谷を落ちて柏木の郊外に引っこむ。思えば、甘いなかにもずいぶん辛い、そして苦い新婚の夢であった。
 その夢もわずか九カ月ばかりで破れてしまう。僕は巣鴨に囚われる。そしてしばらくするうちに、余罪で、思いの外に刑期が延びる。雑誌は人手に渡してしまう。足下は病む。かくして悲しかった六カ月は過ぎた。
 出獄する。自分も疲れたからだを休め、足下にも少しは楽な生活をさせようと思って、かれこれしているうちに、またこんどのような事件が起って、再びお互いに「長々し夜」をかこたねばならぬこととなった。これがわずか一年半ばかりの間の変化だ。足下と僕との二人の生活の第一ページだ。そしてこの歴史は、二ページ三ページと進むに従って、ますますその悲惨の度を増して行くことと思う。僕は風にも堪えぬ弱いからだの足下が、はたしてこの激しい戦いに忍び得るや否やを疑う。しかし僕は、この際あえてやさしい言葉をもって、言い換えれば偽りの言葉をもって、足下を慰めるようなことはしたくない。むしろ断然宣言したい。あのパベルのお母さんを学んでくれ。
 僕はこの数日間、ゴーリキーの『同志』をほとんど手から離す間もなく読んだ。足下も『新声』でその梗概を見たと思う。パベルのお母さんが、その子の入獄とともに、その老い行く身を革命運動の中に投じて、あるいは秘密文書の配付に、あるいは同志の破獄の助力に、粉骨砕身して奔走するあたり、僕は幾度か巻を掩うて感涙にむせんだ。『新声』のは短かくてよく分らんかも知れんが、もう一度読み返して御覧。そして彼が老いたるマザーにして、自らが若きワイフなることを考えて御覧。
 次の書物を送ってくれ。〔La Conque^te 
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