いる松枝は細面のむしろ痩せ形の子であったが、今はそんなに太っているのかね。チョット想像しかねる。
   *
 堀保子宛・明治四十三年九月十六日・東京監獄から
 夏になれば少しぐらいからだのだるくなるのは当り前のことだ。しかし僕は、去年だって一昨年だって、特にからだが弱るとか、食欲が減るとかいうようなことは少しもなかった。そして心中ひそかに世間の奴等や従来の自分を罵って、夏になって何とかかとか愚図つくのはきっとふだん遊んで寝て暮している怠けものに限る、などと傲語していたものだ。
 それだのに本年はどうしたのだろう。満期の近い弱味からでもあろうか、ひどく弱り込まされた。まず七月早々あの不順な気候にあてられて恐ろしい下痢をやった。食べるものは少しも食べないで日に九回も十回も下るのだもの、病気にはごく弱い僕のことだ。本当にほとほと弱り込まされた。その後二カ月余りにもなって、まだ通じもかたまらず、食欲も進まない。雨でも降って少し冷えると、三、四回も便所へ通う。そして夜なぞはひどく腹が痛む。医者もまん性だろうと言うし、僕もあるいは幸徳か横田※[#始め二重括弧、1−2−54]二人とも腸結核だった※[
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