〆たものだ。その時には、何もかも、すっかり監獄生活にアダプトしてしまうのだ。
本だってそうだ。今の間はまだほんのひまつぶしに夢中になって読んでいるが、その時になれば、ちゃんと秩序だった本当の落ちついた読み方になる。
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伊藤野枝宛・大正八年八月八日
シイツがはいってから何もかもよくなった。あれを広くひろげて寝ていると、今まで姿の見えなかった敵が、残らずみんな眼にはいる。大きなのそのそ匐っている奴は訳もなくつかまる。小さなぴょんぴょん跳ねている奴も、獲物で腹をふくらして大きくなっているようなのは、すぐにつかまる。こんな風で毎晩毎晩幾つぴちぴちとやっつけるか知れない。蚊の防禦法もいろいろと工夫した。
差入れの飯にもなれた。もう間違いなくみんな食べる。そしてかなりに腹へはいる。大便も日に一回になった。もうこれですべてがこっちのものになったのだ。
「あんなに痩せて、あんなに蒼い顔をしていちゃ」と大ぶ不平のようだったが、どうも致し方がない。あの暑い日に、二十人ばかりがすしのように押されて、裁判所まで持ち運ばれたのだ。途中僕は坐る場所がなくて、人の膝の上に腰かけていたくらいだ。
実際、向うへ着いた時には、自分で自分が死んでいるのか、生きているのか分らなかった。二、三時間ばかり寝て、ようやく正気がついた。それから一日狭い蒸し殺されるような室に待たされていたんだ。
きょうもまた裁判だ。ほんとうにいやになっちまう。面倒くさいことは何にも要らないから、何とでも勝手に定めて、早くどこへでもやってくれるがいいや。
ここまで書いたら、いよいよ出廷だと言って呼びに来た。さよなら。
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伊藤野枝宛・大正八年八月十日
知れてはいるだろうと思うが、念のために言って置く。保証金弐拾円で保釈がゆるされた。今日は日曜で駄目だろうが、明朝早くその手続きをしてくれ。
[#改ページ]
豊多摩から
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伊藤野枝宛・大正九年一月十一日
この五日からようやく寒気凛烈。そろそろと監獄気分になって来た。例の通り終日慄えて、歯をガタガタ言わせながら、それでもまだ風一つひかない。朝晩の冷水摩擦と、暇さえあればの屈伸法とで奮闘している。屈伸法のお蔭か腹が大ぶ出て来た。
室は南向きの二階で、天気さえよければ一日陽がはいる。見はらしもちょっといい。毎日二時間ばかりの日向ぼっこもできる。この日向ぼっこで、どれだけ助かるか知れない。この監獄の造りは、今までいたどこのともちょっと違うが、西洋の本ではお馴染の、あのベルクマンの本の中にある絵、そのままのものだ。まだ新しいのできれいで気持がいい。
仕事はマッチの箱張りだ。煙草と一緒にもらうあの小さなマッチで、本所の東栄社という、ちょうどオヤジと僕との合名会社のような名のだ。※[#始め二重括弧、1−2−54]僕のオヤジは大杉東と言った※[#終わり二重括弧、1−2−55]。一日に九百ばかり造らなければならぬのだが、未だその三分の一もできない。それでも、今日までで、二千近くは造ったろう。ちょっとオツな仕事だ。もし諸君がマズイ出来のを見つけたら、それは僕の作だと思ってくれ。
朝七時に起きて、午前午後三時間半ずつ仕事をして、夜業がまた三時間半だ。寝るのは九時。その間に本でも読める自分の時間というものは、三時の夕飯後、夜業にかかる前の二時間だ。夜業が一番いやだ。
本と言えば、あとの本はまだかな。いつかの差入れは去年中にすっかり読んでしまって、この正月の休みは字引を読んで暮した。何分もう幾度も監獄へお伴して来ている字引なので、どこを開けて見ても一向珍らしくない。あとを早く。
生れたそうだな。馬鹿に早かったもんだね。監守長からの伝言でちょっと驚いた。まだ碌に手廻しもできなかったろう。母子ともに無事だという話だったが、その後はいかが。実は大ぶ心配しいしいはいったのだが、僕がはいった翌日とは驚いたね。早く無事な顔を見たいから、そとでができるようになったら、すぐ面会に来てくれ。子供の名は、どうもいいのが浮んで来ない。これは一任しよう。
魔子はパパちゃんを探さないか。もっともあいつはいろんな伯父さんがよく出て来たりいなくなったりするのに馴れているから、さほどでもないかも知れんが。いいおみやを持って帰るからと、そう言って置いてくれ。
雑誌はいかが。新年号は無事だったかな。少々書きすぎたように思ったが。とにかくもうかれこれ、二月号の編集になるね。
吉田はいつ出るのか忘れたが、もう間もなかろう。罰金はできそうか。先生、ここでも元気すぎるくらい元気がいいそうだ。
世間は無事かな。
誰々によろしくと、一々名を並べるのも面倒だから、会う人にはみんなよろしく。
きょうは日曜で、午後から仕事が休みなので、この手紙書きで暮した。
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