緕メはよく肺の初期をつかまえて、胃腸だの気管支だのと言うものだ。面会の時なぞも、勢いのないひどく苦しそうな呼吸をしているのを感ずる。できもすまいけれど、まあできるだけ養生するよう、よく兄よりお伝えを乞う。なお留守宅の万事、よろしく頼む。
 社会党大会事件、またまた検事殿より上告あったよし。「貧富」や「新兵」の先例から推すと、近々の中に深尾君もまたやって来なければならぬのかな。同君によろしく。なお、孤剣、秀湖、西川、山川、守田の諸君によろしく真さんにもよろしく。さよなら。
   *
 幸徳秋水宛・明治四十年九月十六日
 暑かった夏もすぎた。朝夕は涼しすぎるほどになった。そして僕は「少し肥えたようだね」などと看守君にからかわれている。
 この頃読書をするのに、はなはだ面白いことがある。本を読む。バクーニン、クロポトキン、ルクリュ、マラテスタ、その他どのアナーキストでも、まず巻頭には天文を述べている。次に動植物を説いている。そして最後に人生社会のことを論じている。やがて読書にあきる。顔をあげて、空をながめる。まず目にはいるものは日月星辰、雲のゆきき、桐の青葉、雀、鳶、烏、さらに下って向うの監舎の屋根。ちょうど今読んだばかりのところをそのまま実地に復習するようなものです。そして僕は、僕の自然に対する知識のはなはだ薄いのに、毎度毎度恥じ入る。これから大いにこの自然を研究して見ようと思う。
 読めば読むほど考えれば考えるほど、どうしても、この自然は論理だ、論理は自然の中に完全に実現せられている。そしてこの論理は、自然の発展たる人生社会の中にも、同じくまた完全に実現せられねばならぬ、などと、今さらながらひどく自然に感服している。ただし僕のここに言う自然は、普通に人の言うミスチックな、パンティスチックな、サブスタンシェルな意味のそれとはまったく違う。兄に対してこの弁解をするのは失礼だから止す。
 僕はまた、この自然に対する研究心とともに、人類学にまた、人生の歴史に強く僕の心を引きつけて来た。こんな風に、一方にはそれからそれと泉のごとく、学究心が湧いて来ると同時に、他方には、また、火のごとくにレヴォルトの精神が燃えて来る。僕は、このスタデーとレヴォルトの二つの野心を、それぞれ監獄と社会とで果し得たいものだと希望している。
 兄の健康は如何に。『パンの略取』の進行は如何に。僕は出獄した
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