マ三通ずつ来る。東京監獄では、監房の中に保存して置くことができたので、毎日のように、退屈になるとひろげ出して見ていたけれど、ここでは読み終るのを待っていて、すぐにまた持って行かれてしまう。あまりいい気持でもない。
 同志諸君によろしく。さよなら。
   *
 堺利彦宛・明治四十年八月十一日
 暑くなったね。それでも僕等のいる十一監というところは、獄中で一番涼しいところなのだそうだ。煉瓦の壁、鉄板の扉、三尺の窓の他の監房とは違って、ちょうど室の東西のところがすべて三寸角の柱の格子になっていて、その上両面とも直接に外界に接しているのだから、風さえあればともかくも涼しいわけだ。それに十二畳敷ばかりの広い室を独占して、夜になれば八畳つりぐらいの蚊帳の中で、起きて見つ寝て見つなぞと古く洒落れているのだもの、平民の子としてはむしろ贅沢な住居さ。着物も特に新しいのを二枚もらって、その一枚を寝衣にしている。時々洗濯もしてもらう。
 老子の最後から二章目の終りに、甘其食、美其衣、安其居、楽其俗、鄰国相望、鶏犬声相聞、民至老死不相往来という、その理想の消極的無政府の社会が描かれてある。最初の一字の、甘しとしただけがいささか覚束ないように思うけれど、僕等の今の生活と言えば、正にこんなものだろうか。妙なもので、この頃は監獄にいるのだという意識が、ある特別の場合の外はほとんど無くなったように思う。
 かつてロシアの同志の、獄中で猫を抱いている写真を、何かの雑誌で見て、日本もこんなだといいがなあなぞと言って、みんなで大いにうらやましがったことがあった。ところがこの巣鴨の監獄にも、白だの黒だの斑だの三毛だのと、いろいろな猫がそこここにうろついている。写真は撮れまいけれど一所に遊ぶことくらいはできるだろうと思って、試みに小さい声で呼んで見るが、恐ろしく眼を円くして、ちょっとねめつけるくらいが関の山で、立ち止って見ようともしない。聞くにまったく野生のものばかりだそうだ。僕の徳、はたしてこれを懐かしむるに足るかどうか。ナツメ※[#始め二重括弧、1−2−54]飼猫※[#終わり二重括弧、1−2−55]が大怪我をしたそうだが、その後の経過はいいかしら。
 保子から、やれ胃腸が悪いの、やれ気管支が悪いの、やれどこが悪いのと、手紙のたびにいろいろなことを言って来るが、要するにいよいよ肺に来たのじゃないかと思う。
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