建物の端から端までのがみんな見えた。しかしその二十幾つかの顔のどの目からも予期していた本当の人間の目は出て来なかった。そしてみんなこっちを睨んでいるように見える巨人の顔が少々薄気味悪くなり出した。
「もうみんな寝たんだろう。僕も寝よう。みんなのことはまたあしたのことだ。」
僕はそっとまた爪で戸を閉めて、急いで寝床の中へもぐりこんだ。綿入一枚、襦袢一枚の寒さに慄えてもいたのだ。
すると、室の右側の壁板に、
「コツ、コツ。コツ、コツ。コツ、コツ。」
と音がする。僕は飛びあがった。そしてやはり同じように、コツコツ、コツコツ、コツコツと握拳で板を叩いた、ロシアの同志が、獄中で、このノックで話をすることはかねて本で読んでいた。僕はきっと誰か同志が隣りの室にいて、僕に話しかけるのだと思った。
「あなたは大杉さんでしょう。」
しかしその声は、聞き覚えのない、子供らしい声だった。
「え、そうです。君は?」
僕もその声を真似た低い声で問い返した。知らない声の男だ。それだのに今はいって来たばかりの僕の名を知っている。僕はそれが不思議でならなかった。
「私は何でもないんですがね。ただお隣りから言い
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