いない。これは僕ばかりじゃない。たしかに堺(利彦)にでも山川(均)にでも、山口(孤剣)にでも、その他僕等の仲間で前科の三、四犯もある誰にでも聞いて見るがいい。みんなきっと碌な返事はできやしない。それから次に列べた最初の新聞紙条令違犯(今は新聞紙法違犯と変った)の刑期も、ほんのうろ覚えではっきりは覚えていない。
[#ここから2字下げ]
一、新聞紙条令違犯(秩序紊乱)三カ月
二、新聞紙条令違犯(朝憲紊乱)五カ月
三、治安警察法違犯(屋上演説事件)一月半
四、兇徒聚集罪(電車事件)二カ年
五、官吏抗拒罪治安警察法違反[#「官吏抗拒罪」と「治安警察法違反」は二行に分かれている](赤旗事件)二年半
[#ここで字下げ終わり]
 これで見ると、前科は五犯、刑期の延長は六年近くになるが、実際は三年と少ししか勤めていない。先月ちょっと日本に立ち寄った革命の婆さん、プレシュコフスカヤの三十年に較べれば、そのわずかに一割だ。堺も山川も山口も前科は僕と同じくらいだが、刑期は山口や山川の方が一、二年多い筈だ。僕なんぞは仲間のうちではずっと後輩の方なんだ。
 初陣は二十二の春、日本社会党(今はこんなものはない)の発起で電車値上(片道三銭から五銭になろうとした時)反対の市民大会を開いた時の兇徒聚集事件だが、三月に未決監にはいってその年の六月に保釈で出た。そしてそのほかの四つの事件は、この兇徒聚集事件が片づくまでの、二年余りの保釈中の出来事なんだ。一から三までの三事件九カ月半の刑期もこの保釈中に勤めあげた。
 こうして二カ月かせいぜい六カ月の日の目を見ては、出たりはいったりしている間に、とうとう二十四の夏錦輝館で例の無政府共産の赤旗をふり廻して捕縛され、それと同時に電車事件の方の片もついたのであった。そして当時のありがたい旧刑法のお蔭で、新聞紙条令違犯の二件を除く他の三件は併合罪として重きによって処断するということで、電車事件の二カ年もまたすでに勤めあげた屋上演説事件の一月半もすべて赤旗事件の二カ年半の中に通算されてしまった。いわばまあゼロになっちゃったんだ。
 検事局では地団太ふんでくやしがったそうだ、そうだろう。保釈中に三度も牢にはいっているのに、保釈中だということをすっかり忘れていたんだ。しかし僕の方ではお蔭さまで大儲けをした。が、その年の十月から今の新刑法になって、同時に幾つ犯罪があっても
前へ 次へ
全31ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大杉 栄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング