僕等のいる十一監というところは獄中で一番涼しいところなのだそうだ。煉瓦の壁、鉄板の扉、三尺の窓の他の監房とは違って、ちょうど室の東西がすべて三寸角の柱の格子になっていて、その上両面とも直接に外界に接しているのだから、風さえあればともかくも涼しいわけだ。それに十二畳ばかりの広い室を独占して、八畳づりの蚊帳の中に起きて見つ寝て見つなどと古く洒落れているのだもの。平民の子としてはむしろ贅沢な住居だ。着物もことに新しいのを二枚もらって、その一枚を寝巻にしている。時に洗濯もしてもらう。
「老子の最後から二章目の章の終りに、甘其食、美其衣、安其所、楽其俗、隣国相望、鶏犬声相聞、民至老死不相往来という、その消極的無政府の社会が描かれてある。最初の一字の甘しとしただけがいささか覚束ないように思うけれど、まず僕等の今の生活と言えば、まさにこんなものだろうか。妙なもので、この頃は監獄にいるのだという意識が、ある特別の場合の外はほとんど無くなったように思う。」(堺宛)

 この蚊帳で思い出すが、ある夜、暑苦しくて眠れないので、土間をぶらぶらしている看守に話しかけた。
「少しくらい暑くたって君等はいいよ。僕はさっきから蚊帳の中に寝ている君等を見ながらつくづく思ったんだ。こうして格子を間にして君等の方を見ていると、実際どっちが本当の囚人だか分らなくなって来るよ。」
 看守は笑いながらではあるが、しみじみとこぼして言った。

 それからしばらくして幸徳に宛てた手紙を出した。
「暑かった夏も過ぎた。朝夕は涼しすぎるほどになった。そして僕は『少し肥えたようだね』などと看守君にからかわれている。
「この頃読書をするのにはなはだ面白いことがある。本を読む。バクーニン、クロポトキン、ルクリュ、マラテスタ、その他どのアナーキストでも、まず巻頭には天文を述べてある。次に動植物を説いてある。そして最後に人生社会を論じている。やがて読書にあきる。顔をあげてそとを眺める。まず目にはいるものは日月星辰、雲のゆきき、桐の青葉、雀、鳶、烏、さらに下っては向うの監舎の屋根。ちょうど今読んだばかりのことをそのまま実地に復習するようなものだ。そして僕は、僕の自然に対する知識のはなはだ浅いのに、いつもいつも恥じ入る。これからは大いにこの自然を研究して見ようと思う。
「読めば読むほど、考えれば考えるほどどうしてもこの自然は論理だ
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