しゃっと頬にあたったときは悲鳴をあげたが、すぐまた反対の側から同様のを続けて喰《くら》うと出かかった悲鳴も声にはならず、もう不貞不貞《ふてぶて》しい覚悟でさらに飛び散る弾の中を踊り潜《くぐ》ってゆくのだった。
「あの子|可哀想《かわいそう》に、やられてばかりだなア」
 梶は投げつけようとしていた餅もやめにして云った。
「どの子です」
「あの子」
 おいおい、と云う風にすぐまたヨハンは、眼の大きなその踊子を手招きした。この踊子も小趨《こばし》りに彼らの箱へ来ると、これはイレーネとは違い、いきなり真近く梶の傍へぴたりと擦《す》りよって来て、じっと彼の顔を正面から瞶《みつ》めた。傍で見ると、その眼はあまり大きく却って表情が分らなかった。爛爛《らんらん》と光り輝く眼で、今にも飛びかかって来そうな底知れぬ黒さだった。
 梶は場中の華形ばかりをよせ集めた絢爛《けんらん》さに取り囲まれ、いつの間にか、各席の視線を吸いとっている自分が不思議だった。
「これはアンナと云う名ですが、ホテルはブリストルかと訊《き》いていますよ」
 とヨハンは暫くして彼に云った。そうだと彼が答えると、アンナは何事かまたヨハンに云った。
「この子はあなたに、今夜これからホテルヘ連れて行けって云いますよ」
 これには梶も即答に窮した。どうしたことか、日ごろの不粋がはたと途惑いしたようだったが、またそんなことでもない、傍にいるイレーネへの義理が、それだけは今夜は駄目だと抑えかかり彼を苦しく笑わせるのみだった。すると、アンナはヨハンを介せず、もどかしそうに梶の耳もとへ直接口をよせて来て、
「You are beautiful.」
 とひと言囁いた。彼には、まことに思いもうけぬ囁きであった。このような言葉を、彼は今まで半生まだ聞いたことがかつてなかった。おそらく、アンナの知っている英語のうち、彼に与えて通じそうなただ一言の華《はな》むけであったろうが、しかし、この遠い異国の果てで、まだ誰からも貰《もら》ったことのない言葉をひと言不意に貰おうとは――、梶は、貴い滴りのようにアンナの囁きを素直に胸で受けとめて悔いなかった。イレーネは喇叭にしつこく迫りよられていながらも、ひそかに、ときどき恨みを蒼《あお》く放つ眼で梶の方を睨《にら》んだ。こちらの方はこれで良いと諦《あきら》めていた矢さきの折だっただけに、梶はまだ断ち切れ
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