っていたものであった。
伯母の家に半年もいてから、私と母と姉とは汽車に乗り琵琶湖《びわこ》の見える街へ着いた。そこに父は新しく私たちの棲《す》む家を作って待っていてくれた。そこが大津であった。私は初めてここの小学校へ入学した。湖を渡る蒸気船が学校のすぐ横の桟橋から朝夕出ていったり、這入《はい》って来たりするたびに、汽笛が鳴った。ここの学校に私は一ヶ月もいると、すぐ同じ街の西の端にある学校へ変った。家がまた新しく変ったからであるが、この第二の学校のすぐ横には疏水《そすい》が流れていて、京都から登って来たり下ったりする舟が集ると、朱色の関門の扉が水を止めたり吐いたりした。このころ、この街にある聯隊《れんたい》の入口をめがけて旗や提灯《ちょうちん》の列が日夜激しくつめよせた。日露戦争がしだいに高潮して来ていたのである。疏水の両側の角刈にされた枳殻《からたち》の厚い垣には、黄色な実が成ってその実をもぎ取る手に棘《とげ》が刺さった。枳殻のまばらな裾《すそ》から帆をあげた舟の出入する運河の河口が見えたりした。そしてその方向から朝日が昇って来ては帆を染めると、喇叭《らっぱ》のひびきが聞えて来た。私
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