治をされていたんだね。以後注意するよ。」矢代はそう云いつつも、たしかに今夜の塩野の果敢な行動は、サンゼリゼのときの彼の働きとも共通したものだと思い、あまりにも明快すぎる彼の援助には、眼に見えた効果のあったそれだけにまた不安も感じられた。しかし、千鶴子の母が見えなくなってからは、争われず緊張が解け、明日からまた旅をつづけるホテル住いのような気楽さに戻るのが、いつか身にしみついたものにまでなっているのかと、それもこういうときでなくては分らぬ自分を省みて怪しまれた。
「お母さん、何んだか嬉しそうなの。ぜひ皆さんに泊っていただくようにって、そんな命令ですのよ。どうぞ。」千鶴子は戻って来ると三人を等分に見て笑った。
「そう云われると、急に何んだか寂しくなったね、帰るか、え。」と塩野は佐佐を見た。
「僕は今夜はこの絵に会いに来たんだからね、もうこれで満足だよ。」佐佐はにやにやしながら壁の自分の風景画をまた眺めた。
 矢代は千鶴子の母がいろいろの意味で好意を自分に見せてくれたのも、知らぬ間に蔭で侯爵夫人や槙三などの努力に預ったことも多いと思われて、内心に感謝するのだった。しかし、こういう風に万事が自分と千鶴子に好都合になって来ていると分ると、それだけにまた、父の亡くなったことが思い出されて寂しさを感じて来た。
「僕はこのごろ何か重大なことを考えるときには、つい親父の死んだことも一緒に考えるような傾向になってね、どうも生なら生だけ考えるということは、不可能になって来たよ。親父を亡くした新米のせいかね。」
 矢代はこう云いつつも、灯の下で真近に見える千鶴子の組んだ膝のぴっちりくびれた部分が、いつもと違い切なく眼に泛んで放れなかった。彼は自分のこのような視線を欲望といえば欲望だと思ったが、しかし、父の死以来、悲しさが昂じて来ると、それにつれ千鶴子の体を眼に泛べて抑える習慣もついて来ていたのである。それというのも一つは、父の亡骸を抱いたときの死の臭いを思い出すと、ほとんど衝動のように別に思い出す言葉があって、それに抵抗したくなるある作用のためだったが、――すべてのことは、やがて死ぬべきものどもが真実だと思った名目にしかすぎぬ――このギリシア人の名高い言葉は、今の自分のために特に云われたことのようにさえ思われ、その物凄い意味とは反対に、彼に人の肉体への郷愁を感じさせる強いこのごろの原因でもあった。
「それじゃ、失礼しようか。」と佐佐は云って身を椅子から動かせた。すると、塩野も立った。
「あら、お泊りになって下さらないの皆さん。あたしはもう準備しておりますのよ。」と千鶴子は塩野と佐佐の両人に云った。
 今から帰るのは億劫な様子で暫く躊躇のままだったが、それもついに立ってしまった余勢でうやむやに三人は玄関へ押し出て行った。まだ電車があるのかどうかそれも瞭っきりしないながらも、ともかく夜道を駅の方へ歩いた。矢代は交番の前の椎の樹の傍まで来たとき、また幹をちょっと撫でて仰いでから、「何んだって、物というものは手で触ってみなくちゃ駄目だなア。」と呟いた。そして、ギリシア人の「やがて死すべきものどもが――」という言葉をまた幾度も胸中で云ってみているうちに、それとどこが似ているというわけでないに拘らず、幣帛のあの無限に連り、永遠にわたって沈黙している空間の深さを示す姿を思い出して来るのだった。しかし、なおよく考え込みつつ歩いていると、やはり幣帛の方は、そのような不要なことも人には囁きかけず、表と裏とを見せ、たらりと白く垂れ下っているばかりの静けさで、お前の持ちものをすべて生かせ、そして天に捧げよ、と彼の心に云いかけ、肚のあたりでしっとりと留まるのだった。それはまた自分ひとりにとってそうではなく、やがて死すべきものなら一度はそう思ってみてこそ、どこにも間違いのない唯一のものの姿の静けさだった。矢代は、道というものはそういうものから連って伸びつづいているものに思われ、現に自分の歩いているこの歩道も、その心に縛るものの一端だとさえ思われて来るのだった。


 矢代の父の四十九日も過ぎたそのころから桜が咲いた。分骨にした父の骨を九州の郷里の寺と京都の本願寺に納めたいという母の意に随い、矢代は西へ旅立つ日を待った。彼と一緒に母か妹かどちらか一人加わる筈のところも、予後の妹の疲れや千鶴子からの返事のことなども考え、特にその用もないことを矢代は主張してみたが、幸子はやはり行きたがった。
「京都までなら良いだろうが、しかし、九州までとなるとまだ危いよ。」
「じゃ京都まで。」
 と幸子は云った。そして、いつか病院へ見舞に行ったとき、京都の美しさもよく見るようにと奨めた彼の言葉を覚えていて、それを楯にしつこく彼を困らせた。表面派手に見えてよくおどける癖のある幸子は、父の遺品が出て来る度に声を上げて泣いた。また父の夢を見たと云っては泣いた。母からからかわれると、泣かない母を不思議だと云って無遠慮に腹を立てた。
「あたしはもう、悲しさがどうしても取れないわ。月日がたつと、あきらめられると人は云うけれど、あたしはそんなに思えない。毎日毎日だんだん淋しくなるばかりですもの。」とそう云って幸子は悄気るばかりだった。
「お前さんを連れてったら、逢坂山のトンネルを這入った途端、また泣かれるね。」
「それや泣いてよ。」
 矢代は初めは冗談のつもりでそんなに云ったのも、実際自分も、父の手がけたそのトンネルの中に這入れば何ごとか今から感慨が起って来そうだった。また京都の街を見降す位置にある本願寺の納骨堂に父の骨を納めることは、この街に電力を送っている宇治川の水電を成就させた父の心も安ませることだと思ったが、幸子には、その灯も涙の種になるのかもしれないと思ったりした。
 家の周囲には、桜の木が多いというわけではないのに、日ごろ無視されがちだった小木まで陸続と花を咲かせた。それは呼び合うように凄じい勢いで空を占めとり、一年の盛時の絶頂を極めほこる自然の華やかさで、庭の内外、小路の両側、土蔵の隙間に至るまで噴きわたった。いつも春の来るまでは、来ても例年の通りと思う期待で浮くだけの気持ちも、それがいよいよ桜のころに迫ってみると、思いの他ぱッと浮き騒ぐ鮮やかさに、これでは京都の街の騒騒しさも想像の外であろうと、宿をとるのも怪しまれ矢代は花どきを脱したくなった。
 ある日、矢代は社長の叔父の所へ、京都へ行くまでに片附けて置きたい相続のことで相談に出かけた。叔父は母方に当るので矢代の方の家事にはあまり干渉もしないとはいえ、会うと嫁の話を切り出すことが多く、矢代も緊急の用事の他は会わない方針でいたのだが、父の死後は株券や税金の取扱いにはこの叔父の智慧が何より役立った。叔父の貞吉は自分の娘たちの学友や知人の娘の写真などを矢代に見せて、彼の意見を覓《もと》めるのも、一つは矢代の母から頼まれているとも受けとれた。彼にしては叔父が自分の嫁に熱心になる以上に、妹の幸子の縁談に意を向けて貰いたく思うこのごろで、それとなく幸子の病いの全癒を報らせる方に話の傾きがちになるのには、叔父も不興げな様子だった。
「潮どきは脱すものじゃないぞ。嫁の顔は不味くとも、月日がたっといつの間にやら氏育ちが顔形に出てゆくからな。何より家柄の判っているものの方が安全なものだ。」
 叔父は矢代の意中を忖度したつもりで、結婚に気のりを見せぬ彼の胸中に針を打つのも忘れなかった。
 この日も叔父の貞吉は矢代所持の株券の相場や切替の話をすませてから、彼の母と叔父たち共通の実家にあたる、滝川家のことに自然に話が落ちていった。母の実家の方は士族の土地持ちで、株の他に小作人や山林も地方としては相当多い動産不動産の実状だったから、矢代や今の貞吉の家とは異り、受け継いだ財産を維持するだけで地方特有の煩雑な用務が積っていた。そこへ、後継の娘の養子が新時代と自称する青年で、家の実権が自分に移れば、財産を社会のために解放すると妻に云いきかせて驚かせているということも、貞吉と矢代との間の話題になった。
「これで新時代というものは、いつでも有るものだが、自分が新しいつもりでも、いつの間にやら古うなってしまうものだな。僕らでもむかしは新時代だったよ。」
 と貞吉叔父は笑った。頭髪の薄い円顔に小肥りな事業家肌のこの叔父にも、ひとむかし騒がれた鹿鳴館以来の開化文明の欧化思想に浸った形跡もあって、床には諭吉から直接に貰った独立自尊の軸物がよく懸っていた。貞吉などの民権自由の新時代が欧洲大戦の余波を受け大正の資本主義時代の膨脹期にさしかかって来たとき、それにつれて起った社会主義の騒然たる芽も伸び繁り、滝川家の養子らの頭もその声音の高さに嚥まれる時分となった。およそ親戚たちのどの家にもそれぞれに来るべき新時代の余波は何らかの形で及んでいたが、しかし、その底にはむかしから変らぬ自然の流れに似た太い情緒もまたともに流れていた。このような中で矢代は自分の親戚たちを見ていると、不思議とどの家の中の子女たちも、恋愛事件を起して家風の保った独特の静寂な情緒を乱したものは一人もいなかった。皆それぞれ誰も親の定めた嫁を貰い、その教えのままに嫁ぎ、そして何んの間違いもなく子女を育てて老年へと向っている。見わたして強いて異犯あるものと云えば、それは矢代ひとりらしかった。
「おや。」とそういう新鮮なおどろきで、突然矢代は自分と千鶴子との一点の異風に今さら振り返るのだった。実際このさきとも自分は親や親戚たちの誰の努力や奨めにも応じることなく、千鶴子との間をひとえに押し通してゆくことは定っていると矢代は思った。叔父の貞吉が滝川の養子のことを、新時代もいつの間にか古うなると云ったのも実は矢代のその汚点を黒黒と染めている一点に向けて云っても見たものにちがいないと思われた。元来から矢代は、自分に忠実であるという新時代の賞め言葉は嫌いだった。しかし、矢代の親戚のものらが誰も周囲に忠実で来たという美点の中で自分ひとりが自分に忠実に、自分の恋愛を押し貫いてゆこうとすることは、新時代の自己主義者のすることと見られても彼に弁明の言葉はない筈だった。よしたとい、それがむかしから変らぬ恋愛だから無理なしという理由は成り立ったところで、そこに一脈の不快さの残ることは認められた。やはり自分も自分の幸福を追い廻す考えで、ついに外国を渡っていたのかもしれぬ。――こう思うと矢代は、俄にこのときから笑いの去るのもまた覚えるのだった。
「僕はこれでも自分の仕事で、日本の地方という地方は残らず廻ってみたが、お蔭で自分の郷里というものの特質が、この年になってどうやら分って来たな。初めのうちは、姑息で因循なあの保守主義には溜らなかったが、いや、しかし、そういうたものでもないと思うようになったよ。どうもお国自慢になって、君には失礼だけれども、日本でむかしながらの気風を一番長持ちさせているのは、東北でも特に僕らの地方じゃないかと思うんだよ。そりゃ勿論、悪いものも持ってはいるがね。誠実質朴という点では、他のどこの国にも負けない頑固なものがあるよ。その代りに、一度悪事をすれば、後はどんなに良いことを山ほどしても、もう受けつけない。そこは君の郷里の九州地方とは違うんだよ。九州は、あそこは妙なところだ、いくら悪事をなそうとも過去を問わぬ。悪く云えば刹那主義だが、良く云えば濶達明朗というのかね。それだから大西郷なんて人が出たのだよ。僕は建築の仕事をしていてこう思うんだが、どうかね。君は外国へ行って来たから分るだろうが。」
 と貞吉は少し前へ乗り出す風に椅子から動くと、まだ青年の活溌さで、さも楽しげにひとり続けた。
「日本に外国からの良い文明が落ち込んで来て、今のような日本が出来上ったというのは、島国だという所もあろうが、一つは君、日本人の誠実さを知った外国人の豪い人物たちが、何んとかしてこの国のために自分を役立てようと思ったからじゃないかと、僕は思うんだ。悪い人間に誰も自分の知識やいのちを与えてやろうとは思うもんじゃないからね。」
「それは僕もそう思います
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