や、それも後のことだとまた思い返すのだった。
「僕のところへ遊びに来て下さるのもいいが、そう自慢の出来る家じゃありませんからね。」
「そんなこと仰言《おっしゃ》るなら、あたしとこもだわ。」
先に歩いて行く由吉たちとの距離を延ばしたくどちらも遅く歩きながら、やはり二人きりにならねば真意は話し難いものだと彼は思った。暗い坂路は長くつづいた。木の間からときどき洩れて来る街灯の光りにその都度千鶴子の帽子の紅色のネットが泛き出した。坂下の方から由吉の笑う太い声を遠くに聞き、矢代は、自分と千鶴子の二人の行く路も彼の笑声で随分明るさを増すことだろうと思った。
えびすの駅のプラットホームは光りの海に浮いたように高く明るかった。その眺めは船がどこかの港へ入港するときの展望に似ていて、暫くかたくなな心が自分の体内から溶け流れて行くのを感じ、車内に入るのも彼は惜しまれた。
菊日和のよく冴えた日が幾日もつづき、百舌《もず》の鋭い暗き声が空に響き透った。矢代は旅の納めに奈良から京都を廻って来たいと思っていたが、同じ行くなら春になるのを待って九州まで行き先祖の城のあとも見直したくなった。こんなことは前には思ってもみなかったことだのに、それが近ごろ急にこういう滅んだものの憩う姿が見たくなるのだった。山の上の崩れた石垣の間に茂った羊歯や芒など、靴で踏みつけ何も知らずに歩いた幼年のころの旅の記憶を呼び起してみても、ただの荒城とより思えないながら、今見れば少しは前とは感慨も違うであろうと思われた。彼の家の紋章は二つ巴だったが、西園寺家の紋章と同じなことを矢代は探りあてたとき、西の国の荘園という意味に西園寺家を解しても、二つ巴を同じくする理由も頷けた。彼はこの紋章と、大鉈で断り払ったかと見えるテーブルに似た岩山が、晴れた空にくっきり聳え立った父の村里の風景とを思い合せるごとに、それが先祖の頭から消えたことのなかった日日の生活の背景かと思い、月の射す夜など砦の石の崩れも泛んで感傷を覚えた。又それを滅ぼした大友宗麟に対して今さら怨恨はなくとも、彼の信じたカソリックと、それの持ち込んで来た火薬に対しては、自然に自分と元素を違えた種のように感じられ、ともにそれらの生い立ちや仕業を検べたい好奇心も強く動いた。殊にどういう偶然か千鶴子までが宗麟と同類のカソリックだということが、意識の底で弾き返るものがあるだけ、また矢代には何んとなく魅力も生じた。彼はそれをカソリックという異種に対する自分の魅力だと思うと、その自分のひけ目が不快になり、同時にまた千鶴子を愛人と思うことにも、ともすると、赦しがたいある気持ちも感じて来るのだった。
矢代はそういう気持ちにふと襲われたりするとき、いつも細川ガラシヤを妻とした忠興の苦衷を歴史の中から探り出して想像した。丁度矢代の先祖の城の滅ぼされたのと同じ時代にカソリックを信じる妻に悩まされ、その信仰を思い翻えさせようと努める日夜の忠興と、あくまでそれに抵抗するガラシヤとの間で演ぜられた生活の悲劇は、今もなおそのまま自分と千鶴子との間でつづけられる性質の惧れでもあった。ガラシヤに抜いた太刀を突きつけ、
「キリシタンを捨てよ、捨てられずば腹を切れ。」
と迫る忠興の顔、そして、その前で天主の徳を説き、
「主を愛するが故に自分は、あなたを愛する。」
と主張してやまなかったガラシヤの反抗の強さに終始した二人の生涯を思うと、矢代は、西洋で自分の拾って来たものは、忠興を苦しめたその頑固なカソリックだけなのであろうかと、自然に心も暗くなった。
この細川忠興とガラシヤの夫婦関係は、当時の新鮮な思想的暴風の中心事件のようであったが、特に矢代には、見逃しがたい苦痛な典型的な一点のように見えた。信長が光秀に殺された天正十年の五月のころには、光秀の娘の細川ガラシヤは二十歳ごろで、婦人なら花の盛りとも云うべき年ごろだったのも、千鶴子に似ていた。しかも、このガラシヤと忠興との結婚の仲人を自ら申し出たのが信長なのも、矢代には興味を感じることであった。またその光秀が自分の娘と忠興が結婚してから二三年目に、娘の仲人であり、自分を成長せしめた主の信長を殺したという悲劇には、必ず人人には計り知られぬ光秀の苦痛が潜んでいるにちがいないと思った。その苦痛の分らぬ限りは歴史を動かす精力というものも、容易に解せられぬ何ものかであろうと彼には思われるのだった。――このような感想ならずとも、今の矢代にとって、日本の歴史の中でもっとも興味を感じる部分は、自然とこの彼の先祖の滅んだ戦国時代であり、またその時代を代表する信長、光秀、秀吉の三人物の好奇心の動きであった。そしてこれら三人物がそれぞれ一番興味を感じもし、また悩まされたのは、揃いも揃ってカソリックという西洋を形造った異元素だったということが。――それもカソリックに興奮した三傑の原因は、それが運んで来た大砲という暴力の親の火薬が元であってみれば、その火薬を生んだ親たる自然科学に対するとき、矢代も、今もなお信長や秀吉のようにそれに驚異を感じている自分だと思った。しかもその科学と千年ももつれ争い、はては結婚さえしてしまったかのように見えるカソリックという精神の原動力をなす異国の神の――千鶴子や細川ガラシヤの信じたエホバとその子キリストの精神に関しても、彼は知らぬままには素通りして過ぎることが出来ないのであった。そればかりではない、人人のよく用いる世界史というものの内容も、所詮はカソリックと自然科学の歴史と見ても良いと矢代には思われる。そしてこの二つの中心の希い念う不断の希望をも想像もして見ずに、世界の歴史という人間群衆のもがき悲しみ、笑い崩れた姿態の放つさまざまな妖火業念も、また彼には考えられないことだった。
すべては歴史とはいえ、歴史とはいったい何ものであろう――矢代はこう思うと、いつも漠然としてしまうその最後に浮んで来る想念は、伊勢の大鳥居の姿と、エジプトで見たスフィンクスの微笑であった。信長も、光秀、秀吉も、ともに見ることもなくして死んでしまったそのスフィンクスの顔を見たときも、矢代は、
「ああ、これか。」
と思って、ただぼんやりしただけの自分だったと思った。しかしそのスフィンクスの背後に聳えていたピラミッドの暗闇の穴の中を潜ったときに、久慈に手を持たれ、ふっと苦しい呼吸でひき上げられていた千鶴子の姿を一緒に矢代は思い出す。そうすると、あの久慈は今でも千鶴子を愛しているにちがいないと、ふとそんなに思ったりした。その久慈が今もパリから千鶴子にせっせと手紙を出している姿を思った。またそれから来る自然な連想に伴って、千鶴子をガラシヤに似せて考える矢代には、ガラシヤにキリシタンを説いてやまなかった高山右近の心情も思い出された。そんなガラシヤと忠興と、その友人の右近の親しくした日日の交際も、また云いかえれば、千鶴子を中にした矢代と久慈との交際の日日と同様にちがいなかったと、矢代は、思うのであった。そして、このままもし、自分が千鶴子と結婚するような結果にでもなれば、右近のように西洋に憧れつづける久慈のことであるからは、あるいは、忠興とガラシャの間にカソリックの水をさし注いで絶えず二人をまどわせた右近のように、うるさい日日のもつれも生じる惧れなきにしも非ずと思われる。
「親も捨てよ、兄弟も捨てよ、主人も捨てよ。そして、ただ天主でうすを信ぜよ。」
とこういう熱烈な口調の右近の言葉にしだいに動いて行くガラシヤ――そして、この世にも早や希望を持たぬ彼女の信仰の生活に似て、千鶴子も事あるごとに西洋の神を拝しつづけ、主人の自分を想うことが、取りもなおさずヨーロッパの幻影を失わぬためだとすると、戦国の世ならずとも自分の苦しみは忠興の悲劇とさしたる変りもあろうと思えなかった。それも、この宗教の相違の問題だけは、ともに二人が生活をしてみた後でなければ、互に分らぬことかもしれず、また考えようによっては、千鶴子のカソリックを信じる意向も、ただ近代の日本婦人が外国語を習うような、教養の部門の一つの趣味として考えているだけかもしれないと思われる筋もあった。しかし、いずれにせよ、千鶴子を改宗させる困難は、自分の改宗以上に努力を要することにちがいないことだった。
矢代はこのような千鶴子と自分との結婚に一番難関となっている宗教のことを考えるときは、いつもまた大友宗麟が頭に泛んだりした。このフランシスコ宗麟は、よく外国の戴冠式に法王から冠をかむせられて拝跪している国王のような服装を、鎧の上から引っかけ、戦場に臨んだ。そんな風にすべて宗麟はカソリックの礼式を用いたという史書を読むに及んで、矢代は、その宗麟に滅ぼされた自分の先祖に多少のむくれもまた感じた。そういうときには、それにつれまた千鶴子の身の上にも及ぶとともに、彼女の家の家系や、それと似た他の日本の知識階級の家家は、先祖の中に、カソリックに負けた悲しさ、苦しさを知らぬ家系が多いからだというようにも思うこのごろである。
しかし、こんなに思っても、それならカソリックを悪いと思っている自分ではないと、矢代は思った。ただ自分の家に限っては、二人の結婚に邪魔になる危惧がある。その危惧を取り払う努力をするには、何か適当な他の力を藉りねばいられぬときが来そうな気持ちがした。そうして、その他の力とは、いったいどこからそれを探し出せば良いのだろう。実際、矢代はそんな千鶴子のカソリックを赦し、むしろそれを援ける平和な寛大な背後の力を欲しかった。しかし、それには仏教でも駄目だと思った。また神道でもなお悪かった。そうしてみると、日本の中にあるものでは、古神道以外に先ず矢代には一つも見つからなかった。このようにして矢代は暇を見てはだんだん古神道の書物を買い漁るようになるのだった。
目黒で千鶴子と会ってから二週間ほどたったある日、彼女から矢代に簡単な速達が来た。それには、塩野が駿河台の病院へ入院したので、明日見舞いに行きたいと思うから、あなたもそのとき来てほしいと書いてあった。とうとう来たかと矢代は思った。そのうちに君も入院するから気をつけるようにと、先日云って別れたばかりの直後だったので、およそ病因は彼に分っていながらも、冗談の当りすぎた気味悪さ以上、来るものの来た必然さに、長旅の愁いの常ならぬ辛苦を今さら矢代は考え直した。科学的には、黴菌の少い西洋から湿気のため黴菌の巣窟になっている日本へ、急激に帰ったものに起る、あの特別な不明病ということにされているようだったが、しかし矢代にはそうは思えず、やはり、それはある選ばれた純真な心の人物に、自然が恵んだ一種のみそぎだと解し、もし久慈でも今いれば、こんなところが二人の一番論争の種になるところだがと思って苦笑した。
駿河台の病院へ矢代の行ったときは応接室にもう千鶴子が来て待っていた。医者に塩野の容態を訊ねてみても要領を得ずじまいで、ただ眠らせつづけている以外方法はないとのことだと、千鶴子は矢代に説明した。それなら病人を起こさぬ方が良いと矢代は思い、二人は病院を出てお茶の水の傍の見晴しのよく利く喫茶店を選んで入った。
「あなたの兄さん、御機嫌はどうです。」
晴れた空の中にニコライ堂の円頂もよく見えた。下の濠の傍を辷る省線の屋根を見降ろし、千鶴子と対き合っていると彼は云うことが何もなくなるのだった。
「兄はあなたに感心してましてよ。」
そう云いながら羞しそうに表情を曲げた千鶴子を見て、矢代は、兄よりも自分の方に味方をしている彼女を感じ、いつのまにか、自分も千鶴子とどこかで結婚をすませてしまった後のような気持ちにふとなった。このまま二人が事実の結婚をするということは、何か不自然なことを別にするようにさえ思われる穏やかな気持ちだった。
「毎日何をしてらっしゃる。このごろ?」
「このごろあたし、ぼんやりしてるだけなの、何んだかしら、気が遠くなったみたいよ。あたしも塩野さんみたいになるんじゃないかしら。」
「一種のみそぎをしている時期だからな。僕らは――塩野君の入院でもどうも僕
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