る限り、いちめんに実った穂の波うつ中に浸っていると、まだ誰かが、年中怠らず労務をつづけていてくれる辛苦が歓ばしく思われ、せめてこれを感じることだけは忘れぬようにと戒めた。彼は宿の子供と一緒に、竹を細く切り接いで作った蛇の玩具の青い尾を握って、戯れに稲の穂の中を泳がせつつ海の方へ出て行くこともあった。無花果の実の熟れ連った海沿いの白い道を、水平線に随って歩いたり、波の洗う芒の中に一群の寂しい墓標を尋ねてみたりして、山村の心にも馴れしたしんだ。そのまに北の海は秋雨の降り込む照り曇りの変りが激しくなった。
 矢代は母の実家の滝川家へときどき行ってみた。その地方ではただ二軒よりはないと云われ、建物の粋を凝らして作られた自慢の家だと聞かされていたのも、彼はこのごろになって漸くその美しさが分るようになった。使用された家中の材木のどの一つにも節がなく、八十年をへた年月の風雪にかかわらず、狂いや罅が一つも見られなかった。それらの良材のすべても目立たぬように渋を塗りこめ、生地の放つ尊厳さを薄め匿した心遣いの顕れも、都の風とは違っていた。その代りに、長押や柱のところどころに打ち込められた蔦の金具の紋章が、起居の間も先祖の心を失わしめぬ訓戒を伝えているのも、自分の家とは違った武士の血統だと矢代は思った。
 いつかも母が矢代に滝川家の自分の父のことを、こんなに話したことがあった。
「あたしのお父さんはそれは厳しい方でしたよ。矢代の家へあたしがお嫁に来るとき、平民の矢代には娘をやれないと云って、赦してくれなかったんだけれど、だんだん調べてみたら、矢代の家は平民でも前の戦国時代にはお大名だったことが分って、初めて許してくれました。」
 この母の呟きも幼少のころ聞かされたので、意味はよく彼には分らなかったが、長じるに随い、睦じかった中に母と父とのときどきの不和に似た、混じりのあったのも、このあたりの両家の家風の違いに原因していることが感じられた。滝川家と遠く離れている九州を郷里としている父が、どうしてこの保守を何より貴ぶ地方の滝川家の娘と結婚したかは疑問だったが、恐らく母の長兄の東京に遊学中、二人の間を結んだかと想像せられるのみで、両親からこの事に関して彼は一言の話もまだ聞かなかった。しかし、戦国時代の話が出るときに限って、矢代の父が意気込んで自分の家系のことを妻に云う言葉の陰には、それ相当の復讐に似た淡い憂いもあるのだった。
「そんならどうしてここの家、士族じゃありませんの。」
 と矢代の母が父に、訊ね返した不服そうな言葉を、何か二人の気ばだった表情の間から、矢代は思い出すこともある。表面静に見えながら気象の強い母は、家系のことでは負け目を感じるのが不快らしく、何より武士道を重んじる心の姿勢は、年とともに母の中から強く感じ、そのために矢代は、父と母との間に立って苦しんだ日も、母の実家へ来る度びに思い起す記憶である。
 矢代が歴史に興味を感じ始めたのは、つまりはこの父母の家系の相違がもとだったが、平民の父が妻の実家の士族の遺風を尊びつつ、秘かに自分の平民をも誇るところは、他にまた特別の理由のあるのが後に分った。
 母の実家の滝川家の先祖は、士族とはいえ徳川系の譜代大名の士族ではなく、その以前の最上義光の家臣であった。最上家が上杉謙信の枝城の村上に滅ぼされて、その家臣の滝川家も野に隠れているとき、徳川時代となった。そして、土地を鎮める手段として、滝川家は新しい城主に召し抱えの身となって再び立った関係上、それ以来この地には徳川譜代の士族と最上時代の旧士族との土に対する伝統の古さを誇りあう意識が、いまだに他のどの土地よりも濃厚に顕れているのが現状だった。徳川時代を通じて、つねに譜代の士族に圧迫されていた旧士族の最上家の臣たちは、明治になると再び勢力を盛り返し、進んで文明進化の急先鋒に立った。そのため、この地の市会は二士族の勢力の渦巻きを絶えず描いて、大正、昭和となってもなおそれを続けている、保守限りもない遺風となっている。
 日本でもっとも保守主義と謳われているこの地の人心の底を、こうして流れ続けていた意識の中に滝川家があったということは、矢代家にとっては一つの幸福な事であった。何ぜかというと矢代の家も最上義光と同時代に、彼の九州の先祖の城はカソリックの大友宗麟によって、日本で最初に用いられた国崩しと呼ばれた大砲のために滅ぼされたのである。しかし、矢代家は城主の守る運命として、滅んで後に野に隠れたといえ、滝川家のごとく新しい城主の臣となる決意の出る筈はなかった。しかし、最上家同様に永く徳川時代を野人として隠忍して来たこの矢代家の悲しみは、どういう偶然か明治となって、ともかく最上家の永い悲しみの末の家臣である滝川家の娘と結びついたのだった。
 このことは、滝川家が士族であり矢代家が平民であるという、階級的な観点から見た場合に起る、ある無益有害な観念を無くさせる上に都合が良かった。それのみか、他の地と違い何より保守を尊ぶ気風を持った土地の滝川家としては旧士族を誇りとしている以上、当然に仰がねばならぬ旧主最上家の位置に、矢代家もまた同様位置する理由により、自家の士族も矢代家の平民に対しては、ある観念が逆に起り得べき立場にもあった。
「それじゃ矢代家、どうして士族じゃありませんの。」
 と矢代の母が良人に不平を洩した失敗のときも、父としては、妻の家が旧主最上家と共に滅ぶべき所を、浮き上った一時期の明るさに対して、それを暗さとして指摘し得られる場合だったが、恐らく子の矢代の身の上を思い、それも父は差しひかえたのにちがいない。
 すべてこれらの事は、この二家にとっては偶然とはいえ、偶然には神秘という契機をもった必然性が常にある。――このように感じたのは、恐らく子の矢代よりも、黙黙としてトンネルを穿つことに専心した彼の父の労苦の中から見出すことが出来るかもしれない。


 東京へ矢代の帰ったのはもう十月を越していた。彼はその翌朝眼を醒してからすぐ庭へ出てみた。朝日の射した庭にはもうよく爆けた石榴《ざくろ》の実が下っていた。彼は一番近くに垂れている石榴を摘まみ下げ、実の裂け口に舌をつけて汁を吸いながら、今日は一つ妹の幸子の所へ見舞に出かけようと思った。自分の勤めていた建築会社の整理部の仕事は、彼の小父の会社であり、当分休暇の届けをそのままにしていてもよかったので、すぐ社の方へ出る用もなかったが、病気もよほど良くなったという妹にだけはすぐ彼は会いたかった。矢代がパリで幸子から受けとった手紙の中に、
「お兄さんは東京を故郷だと発見されて羨ましいと思いますが、あたしは自分の故郷がどこにあるのか分りません。それが悲しいと思います。」
 そういう意味のことが書いてあったのを思い出し、彼は幸子のため凋れた気持ちを何より先ず慰めてやりたかったが、生れて以来東京で育って離れたことのない妹に、お前の故郷はここの東京だと教えたとて、東京を故郷だと思えない心に向って何んと説くべきか、彼にはそれもパリ以来の気がかりなことの一つだった。分りよく妹には両親の家系の違いを話し、先祖の苦しみや歎きがどんな希いで自分たちの肉体に伝わっているかも話さねばならぬ。
 矢代は引き下げている石榴の枝が少し高すぎたため、背伸びをしながらときどきふらついた。が、また枝をぐいと下げて石榴の皮の裂け目を手で拡げた。爆けこぼれた粒粒の二三が襟もとから胸の間へ忍び込むと、そこからまた腹まで沁み転げてゆく冷たさに、思わず彼は前に背を曲げて笑った。それでも、実を枝から※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]ぎ放して彼は食べようとしなかった。樹から繋がりのまま直接噛み破る酸味に口の周りの濡れるのが、これこそ故郷の味の一つだと思われて愉しかった。
 粒の一つ一つの薄紅が朝日に射し映え複眼の玉となって犇めき詰っていた。その実の重さを受けると、貴重な陶器の握覚を感じ、矢代は一つで足らずすぐ次ぎの枝をまた引きよせた。華やかに群りよった実の重量で枝は房のように垂れ流れていた。鰯雲の尾を曳いた鮮明な空だった。石榴の隙間から見えるその空を仰向きに、実を食い破っている矢代に、燦爛たる朝の充実した光りが降り濺《そそ》いでいた。
「ああ美味い。」
 矢代は今は完全に素肌の感覚に戻り身を震わせて云った。彼はふとパリのノートル・ダムで繊細巧緻な稜線の複合した塔の姿を見たときに、胸のときめきを覚えた自分を思い出した。しかし、今のこの野人の爽かな身震いは、ソロモンの栄華の極みだに野の百合にも及ばざらんと歎じた、聖書の文句の意味となり、彼にはある特別な感動を伴って激しく貫き透って来るのだった。
「パンがもう焼けてますよ。」
 と母は庭から戻って来た矢代に云った。朝食を急激に和食に変える辛さを母は想ったものか、彼女から矢代にそう訊ねたとき、朝だけはパンにしたかったいつもの癖が出て、うっかりパンと答えてしまったが、今の彼にはこういうことも自己批判めいた種となって、一途に烈しく和色に偏してゆこうとする自分の保守さ加減も、まだ徹底出来ぬのだと思った。
「パンか。」
 テーブルに向い、トーストを裂いて食べながらも、矢代は妙に自分の中で争うのだった。それは丁度、争いの種子を噛み摧き、嚥み下すような調子だったが、しかし、これからいちいち食い物までこんなに気になって来ては、これは堪らないとまた自分に抵抗もした。殊にカソリックの千鶴子にこの次ぎ会ったときの自分を想像すると、異国で見たときとは異り、思いがけない二人の違いを発見しては、互に遠ざかるばかりかもしれぬと、さらに苦しみも増すのだった。なおその上、カソリックの大友宗麟のために滅ぼされた先祖の城のことを思う場合には――。


 手紙ではときどき矢代は妹を慰めていたが、見舞いに行き遅れていたことは、汽車に乗ってからもやはり後悔めいた気持ちがした。また婚期の遅れゆく幸子のことを考えるときは、今まで殆ど気もとめなかったことだのに、それが突如ただならぬ寒けとなって襲ったりした。自分が結婚する場合妹を先にしてからでなくては納りの悪さのあることなど、たとい考えることを避けていても、不思議と妹の婚期のことだけは心から脱けなかった。
「いや、自分は嫁など貰わぬ。」
 こういう気持ちも矢代にはあった。殊に千鶴子と会ってからは、他の誰かと結婚する意志など一層感じなかったとはいえ、それも家のことを考えるときは、徒労なことになりそうな薄弱な部分も無くもなかった。それに今日妹と会えば、母の意を伝えて矢代の結婚の相手をそれとなく奨める幸子の苦心も、想像していて先ず間違いのないことだった。
 海に面した丘の上の病棟で矢代は初めて幸子と会った。見たところ妹は病人らしい様子が少しもなかった。円顔で頭の廻りの早そうなくるくるした眼は、いつも兄の考えを通り脱け、勝手なところへ出てまた廻る癖があるので、自然矢代も妹にだけは言葉を濁す癖があった。
「帰りたいと思ってるんだけど、急いでまた悪くなるの恐いから、当分は動かないつもりなの。」
 幸子はそう云ってから、毎日ここから海を見ては矢代のことを想像して愉しんだと話した。ミラノで買った革製のハンドバッグや、パリの財布、ベニスのショールなど、矢代の出した土産物を手にとって妹は面にも嬉しさを顕した。矢代は東北の湯治場のことや滝川家のことなどをあれこれと話したが、外国のことについてはあまり云い出そうとしなかった。
「日本海を見てここへ来ると、太平洋の明るさは特によく分るものだね。北の方はもう秋雨がひどいよ。」
「どこが一番良かった?」
 知りきった東北のことより外国のことを何より訊きたいらしい。幸子の眼つきは、何かに飛びつきそうな光りだった。矢代はそれが不愉快で幾らかいやらしく感じたが、それもやむを得ない病人の歓びかもしれぬと思い、
「そうだなア。」と云いながら、窓から麓の漁村を見降ろして一瞬ヨーロッパの風景を頭に泛べた。
「そこにいるとき良い所と、後で思い出してから良くなる所とあってね。一口では云えないも
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