へは以前のごとく通勤し、ある大学の講師も、週二時間ばかり出席をひき受けたり、ようやく彼の身辺も多忙になった。
梅雨明けもまぢかく、軽雷のとどろくころになりながら、幾日もの蒸し気で汗が出た。ある日矢代は、久木会社の文化部で催された会合へ出ようとしている午後のこと、北京の郊外で、中国兵と対立していた日本軍の一隊が、中国軍の発砲に対してついに応えたという号外を見た。記事はごく簡単なものだったが、含まれた意味に群がる嶮しさ只ならぬ空気が満ちていた。
通りを歩いている人人の表情も、言葉少く俯向きがちのものが多かった。鋪道に撒かれた打水の飛沫が、剣尖のように色濃い鋭さを描いて足もとに迫り、歩きつつ矢代は、首筋にねばりつく汗を幾度も拭き拭きした。会場の支那料理店の日本間には、社から招待した先客多数が集っていた。それぞれ顎を胸に埋める風にし、壁にもたれた背も、動きが見られず息苦しそうだった。
「暑いね。」
たまにこういうものがいても、誰も黙って顔を見交そうとしなかった。
「大変なことになったもんだね。」
と矢代は同僚の一人に云った。
「一大事だ。」
同僚は眼鏡をせり上げたが、すぐ内から引き摺りこみあうものがあって、どちらもそれ以上の言葉を発しなかった。陶器の塀に包まれた庭に、露を噴いた若竹が節青く際立たせ、その向うに夕闇が降りて来た。脂肪でぎらついている顔の間を、湯気を立てた料理の鉢が廻って来たとき、矢代にはそれがまだ昨日とつづいている日常の水脈のように親しく見え、懐旧の情をさえ覚えた。実際、もう昨日までの一切の話題は、どこか古びた形骸に見える今宵だった。随ってこの日の会合の議題となるべき、
「東西両洋のヒューマニズムの相違について」
というテーマも、一同の胸中から散り落ちた無力なものに思われた。政治や経済や、思想や、その他文化百般の問題までが、華北で火を噴き始めた一角に集中された形で、各自の想像力がそこを中心に爆け飛び、とどまるところを知らぬ思いのまま、鶏や、豚や、家鴨の肉を盛った皿の上へ、自然に顔も俯向くのであった。
「もうこれで、平和は終ったよ。」
床の青柿の実を背に憂愁を瞼にたたえた哲学者の一人が、皿から顔を上げて云った。
「どうもそうらしい。」
その傍の文学者がそう云った途端に、突然、司会者が、機を掴んだらしく温厚な口調で発言した。
「それでは皆さん、これから始めます。本日は意外な興奮というより、形勢ただならぬ重大な日となりまして、座談の内容も苦しい色を帯びるかと思われますが、片づけて置くべきことは、今のうちに片づけねばならぬと思いますので、元気一番、御意見をお洩し願います。」
「今日はもう止めよう。」と云うものがあった。半畳ではなく、今さらヒューマニズムという抽象的な議題には感興を覚えない、一同の意識を代表した声かと見えた。
「一切のことは、どうでもいいよ。それより軍備の充実、経済力の拡張だ。」
ぴしりと、ひびき強く、一人のそういう文明評論家があった。皆これには笑い出した。が、その笑いを吸い取ってゆく明快な判断には、大正の末以来、観念に悩まされた一同の過去に対する潔癖な逆襲がひそんでいた。それは人間の逆襲というよりも、好機を見つけて狙い定め、急襲して来た現実の胴震いのような厳しさだった。
戦争はもう起っているよ、本当の平和は戦争だ。と、アメリカを廻って来た東野が、入港して来て横浜へ降りるなり、スペイン反乱の有様をそう云った日のことなど、矢代は思い出したりした。塩野と街を歩いていた去年の晩秋、西安で蒋介石が誘拐されたということを聞いたときふと自分の運命に影響を及ぼしそうな突風を身に感じたことも、さらにまた彼は思い出すのだった。一ヵ所の戦争はそこだけで鎮る筈もない。地表を蔽った武器の爆薬の堵列した進行のさま、鉄、石炭、石油の獲得、も早や後へは退けぬ、せり合う戦備の雲行き烈しい各国の目まぐるしさも、矢代は見てきた。パリでは、一時日華の戦争いよいよ開始という大見出しの記事さえ掲げられ、行き交う人人の眼を奪った日のことも、実は、今日の予震のようなものかもしれなかった。そのころは、ジュネーブ聯盟の破滅を中心に、暗雲ますます色濃く垂れさがるばかり、と憂えた朝野の声声の末端、犇めき擦れあう思想の火の手も、危機のふかまり進む車輪のごとく音響を立てていた。視れば、ヨーロッパのどこも発火点で充ちていた。怨恨つみあがり、鬱情す走る十重、二十重の心根の複雑さを、機械の食い破ってゆく日が来たようであった。民族も宗教も、政治も経済も、文明も思想も、ばりばりと歯車の歯の中にめり崩れて行きそうだった。
「西洋と東洋のヒューマニズムの相違について」
この夜、このような議題が一同の間で発案されたことも、無理からぬ時だったが、しかし、今は火の手は東洋の面面へも迫って来たのである。他人事ではないときに、他人事を憂えるに似た観念の弱さを感じる反撥も手伝い、これを自分の強さに変じる作用あってこそと覚悟する、別の気力も、またそのうち一同の中から燃えて来た。
「戦争は何も、地震のように突然起って来た偶然のことじゃない、拡って来た人事で必然だ。そんなら、ヒューマニズムにつながる根本のものじゃないか。文化人として、今こそやらずにどうする。」
こういう文学者も一人出て来た。
「しかし、ヒューマニズムは、ルネッサンスの人本主義から出て来ているものだからね。それからやるとなると大変だよ。」
何も云いたがろうとしない哲学者は、そう云ってまた黙った。
「解釈はどうだっていいよ。ヒューマニズムの心情だ。われわれの心だ。心をそのまま抛ったらかして、狼狽えるわけにはいくまいじゃないか。」
「戦争が起れば、誰も彼も自分の意志ばかりで物を云おうとするからね、意志ばかりで云っちゃ、戦争は負けだよ。冷然とした判断力が何よりだ。」
と、このとき横からこう云い出したのは、隅の壁にもたれかかり、今まで黙っていた科学者だった。
「意志で云わなくちゃ、何んで云うのだ。」
憂いを共にしている一団ながらも、その中から急に寛いだ笑いが立った。
「おい速記たのむよ。座談会そこから始める。」と司会者はまた機を捉えて催促した。
しかし、速記が始まると、さすがに誰も開こうとするものがなく、そこから再び会は頓挫した。矢代はこの頓挫でほっとした。何を云おうと今は無駄だと思ったからだった。出て来る料理につれてしばらく雑談がまだつづいたが、そのうちにこの夜は騒ぎもなく早い散会になった。大玄関から闇の中へ散り出ていく肩口も、平和な日の会合はこれで最後だと思う、名残り惜しげな姿もあり、出る膿なら踏み潰せ、と云いたげな軒昂な肩も見えた。しかし、どのようなことがあろうと、今日はふたたび昨日には戻らぬ訣別の面影ただよう背に、それぞれ灯火をうけた恭倹な帰りとなって散り行くのだった。
燃えるようなカンナの花茎に黒くまつわりのぼる蟻が見られた。真夏が烈しい暑さで迫って来ても、戦いはやはりつづいた。それは締めくくろうとする緊張した力の闇から、めり出す風にのび拡がり、やがて動員令が出た。新しく編成された軍隊の動きが活溌になっていくにつれて、炎天に振られる旗の数が街から街へ急激に増して来た。わけても赤十字の動きが鮮やかに眼につくようになってからは、山野から出発していく馬の嘶きが次第に高くなって来た。
陣太鼓の遠くから鳴りとどろいて来るようなこんな暑さに拘らず、それでも、久しく平和に馴れた人人の表情には、まだ調子の揃わぬものがあるようだった。戦争というには厳しさが足りず、事変というには底鳴り異様なうちに、今度は上海の周囲に火が飛んだ。久慈が印度洋廻りで東京へ帰って来たのは、丁度こういうときであった。彼は東京の知人たち誰にも到着を報ぜず瓢然と戻って来たのである。
矢代が久慈の帰ったことを聞いたのは塩野からで、塩野は大石から聞いたという。誰にも報ぜず、人に会うことをも避けている久慈のその気持ちも、矢代は察することが出来たが、介意わず彼を引き出すようにしなければ、久慈に限りそのまま老い崩れてしまいそうな懸念もあって、すぐ矢代は彼に速達を出した。多摩川の傍だと聞いていた彼の家へ直接出かけて行っても良いとはいえ、それにはこちらの想像する以上に困ったこともあるかも知れず、先ず今は速達だけにしたのである。それに対してしばらく返事のなかったとき、ある日矢代の留守に久慈が訪ねて来たと、妹の幸子が告げて云った。
「妙な方だわあの人。一度さようならと仰言って外へ出てから、また戻っていらして、今度上海へ行くことになりましたから、そう仰言って下さいって。」
「何も妙なことないね。」
「それが、どことなくおかしいのよ。そうね。」
幸子は表現に詰ったもどかしげな表情で、
「何んといったらいいんでしょう。ハイカラなくせに、ちょっと図図しいの。でも、これはひどく云ってみてのことだわ。」
矢代には久慈の変化の仕方がそれで分ったようだった。いきなり相手の中へ踏みこむ癖も、多少は前から久慈にあったところへ、人を瞶める眼に、調節を忘れた異国風が出たのであろう。しかし、あれほど争いつづけた彼が訪ねて来てくれたことは、二人の争いが互に無意味に終らず、また無事落ち合えた思いで矢代は喜びを感じるのだった。思ってみても、久慈とは自分は事ごとに争ったものだと、矢代はその夜また考え直した。それは熱病のようにどちらにも襲いかかり、争いすなわち生活のようなものだった。二人にとってもしあの争いがなかったら、生活の香のする活き活きしたものは、あの旅では得られなかったかもしれない。異国での二人の奇怪な修業だった。矢代はすぐ懐しさに久慈に手紙を書いた。
「旅先で僕らのしばしば語り合ったように、とうとう戦争が起って来た。あれはラスパイユのホテルだったか君と高有明君と、僕らで論じ明した一夜のことなど、今はそのままになろうとしている。
実際、僕と君との果しなかった争いを思い出すと、みなこの戦争の際の準備だったようで、僕には多少気味が悪いのだ。それも無意識の僕らの準備だったことを思えば、あれもこれも、みな神さまが下さったものだろう。僕はこのごろ幾らか神がかりになっているので、人がかりには倦怠を感じて仕様のない状態だ。千鶴子さんとの結婚のことなどにしても同様で、この点、僕らの結婚を早めることは両人にとりあながち幸福とは限らず、むしろその反対の結果を来す惧れなしとせぬところもあって、実はいまだに停頓している意気地なさでもある。女のことを考える暇があるなら、神さまのことを考えろ、と云ったフロオベルの剣先も、彼の故郷のルーアンを訪ねたころから折折に泛ぶ僕の物思いとはいえ、千鶴子さんの念じる神、君の信じる神、僕の拝する神など、――神に二つはない筈だのに、それを思うほど、どうしてこんなに狂ってくるものだろうか。平行線は相交らぬものでも、無限の後方では相交るというものを、――僕らは、まだ交る無限のその部分にはいない下根凡愚かもしれぬ。ともあれ、水落ちれば石あらわれ、人間それぞれ自分の神のおん名を呼びたたえ、祈りつづけねばならぬだろう。ましてや戦争ともなれば――君の信じる科学の神も、あるいは、平行線の交るそんな部分をいつの日か、お示しになることだろう。
君は忘れたかもしれないが、パリで僕らが、日華の戦争起る、という記事に欺かれた日、僕は君にドームで、ある無名歌人の歌を詠んだことがある。――大神にささげまつらん馬ひきて峠をゆけば月冴ゆるなり――そういう歌だが、僕はあのとき何ぜか涙が出て仕方がなかった。それに今日このごろ、いよいよ歌が事実になって来てみると、も早や涙も出ない有様だ。もう僕らも凡愚ながら無限の彼方にいるのかもしれない。あの無名歌人のように。」
矢代の手紙に対し折返して久慈からの返事が届いた。それにはまだ簡単に、自分の歓迎会をしてくれる塩野の厚意も断っていることや、帰って来た目的は母へ安心を与える結婚のためだけで、それをすませばすぐパリへ戻る仕事の待っていることと、上海へ行く
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