立った高い平面を支えている石垣が望まれた。そして、遥かに右の後方には、突けばぽきりと折れそうな鋭い山が薄紫の頭を出していて、右手に廻った一帯の山脈は、屏風に似た岩石の成層で、角を明るく日光の中に照り出していた。
 路はしだいに細まり険しくなった。矢代は汗をかきかき雑草を靴で踏み跨いで歩いた。屈曲して行く路の角角で下を見ると、青い実をつけた蔓草の中から海が見えたりした。柏や小松以外は灌木が多く山路は明るかった。矢代はいつか読んだある歌を思い出した。それは誰の歌だったかもう忘れたが、やはり父を亡くした人の歌で、いつか自分にもこのようなときが一度来るなと思い、そのときのことを想像して和歌の雑誌の中から、その一首だけを覚え込んだものである。多分作者は地方の無名の人だろう。
「葬路の山草茂み行きなづみ骨箱の軽さに哭かんとするも」
 彼はこれを繰返し手にした骨箱を一寸振ってみながら、今自分にもそれが来ているのだと思った。
「山草茂み行きなづみ――」
 実際それは丁度この歌の通りで、この文句をどこかに覚え込んでいたためばかりに、自然にこのようなことをしてみたかったのかもしれなかった。しかし、彼の父の墓場がまだどこだか分らず、それまで父と一緒に、先祖の憩う姿を彼は見て置きたかったまでにすぎなかった。
 草の中に石垣が多くなった。そして、山の上近くかかったとき、枯松葉にまみれた巨石があたりに散乱している平坦な場所に出た。彼は薄青い乾いた苔のへばっている石の面へ鼻をつけたり、爪で掻いてみたりした。羊歯や蔦蔓の間から風化した切石が頭を擡げていた。肩の部分にあたる山梁を廻ると、小高い頭の位置の所に黒松が群がり茂っていて、梢をかすかに松籟の渡るのが聞えた。谷から迫りのぼって来ている石垣も崩れ曲み、今も石垣とは見えずゆるみ拡った隙間に朽葉や土が詰っていた。
 矢代は頂きの石の上に腰を降ろして休んだ。黒松の幹の間から海の見えるのが、ここに棲ったものの今もなおする呼吸のように和いだ色だった。葛の葉や群る笹の起伏する上から遠ざかったむかしのころの面影を想像してみても、たしかにここには、父に繋がるもののかつて刻んだ労苦の痕跡が感じられた。彼は骨箱を松の枝にかけて暫く耳をすませてみた。しかし、今の矢代に通い匂って来るものは、峯から峯をわたって来る松風の音ばかりだった。それはもうむかしの響き轟いた矢筒の音でもなければ、叫び斃れるものの声でもなく、肋骨の間を音もなく吹きぬけて行くような、冴えとおったうす寒い、人里はなれた光年の啾啾とした私語であった。
 矢代は城砦にあたる外廓の一つ向うに見える翼形の峯を瞶めた。そこは、陣形として山容を眺めているうちにも、自然に彼の視線を牽きよせる高みの場所だったからであるが、何ぜともなく彼はそこを中心に、攻め襲って来たカソリックの大友の軍勢を想像するのだった。その軍勢は裾の薄氷のような白い塩田の方から進んで来て、黄褐色の大軍のざわめきとなり、泡だちあがって城を包囲し、外廓の一翼のあの峯を占め取ると、そこへ日本で初めて使う大砲の筒口を据えつけた。そして、新鮮な一弾の谺するたびに、崩れ落ちる白壁の舞い立った場所は、おそらく自分のいるこのあたりの平坦な一角だったにちがいないと思った。雪崩のごとく逃げ迷うもの、飛び散るもの、刺し違えて斃れるもの、それらの乱れ叫ぶひまひまにも、そのとき、この松風の音だけはここで続いていたことだろう。
「あたし恐いわ。何ぜかしら恐いわ。」
 矢代がこの城の終末の歴史を告げた直後、こう千鶴子の云った愁いげな松濤の木椅子の上での言葉を、今も彼は思い出したりした。しかし、千鶴子の恐れているものも、この松風の音にひそんだ年月の声のようなものだろう。そして、遠くあのヨーロッパから押しうつって来たカソリックの波路も、この城を滅ぼし落したその筒口も、すべては今そこに見える日の射した海の色の上に浮んで来たものであろう。
 枝に吊った骨箱の白布が、黒松に浸み入った山気をひとり吸いとって寂然と静かなのが、見ている矢代の眼に痛く刺さって来た。彼はまたそのあたりを歩いてみた。石垣の隙から蜥蝪が一疋逃げ出すと、それも意味ありげで彼は立ち停って眺めた。


 山路を下る矢代の足首に草の実が附着して来た。灌木の葉越しに見えた海も消え代りにまばらな人家の障子が浮き出て来た。はっきりした鮮かさで、山影の薄日を吸った純白なその障子の糊あとを芯に、平行して来る田畑の線は見事だった。垂直に立ち揃った森の幹が、磨き減った胴緊りに細まり、何事か祈りのこもったような谷間の中の路である。
 矢代は苗の鋭く伸びた明晰な山峡のその路を、父の骨箱をさげ辿って行くうち寺へ着いた。二十数年にもなろうか、この寺の門は彼の見覚えのあるものだった。甍もゆるんだ傾きで、風雨に洗われた柱の木理も枯れ渋った隙を見せ、山道の嫩葉に触れた門から中の方に、白藤の風に靡くのが一本、静に過ぎる晩春の呼吸をしていた。
「まア、ようお帰り下さいました。さアさアどうぞ。」
 見たこともない寺の主婦は、気軽く彼を方丈へ上げた。矢代は寺への挨拶というものをこれまでにまだ経験したことのない旅客だと自分を思った。
「もっとお早うにお着きになることと思うてましたが、――まア、こんなむさ苦しいところで。」
 帰るべきものが帰って来たという鄭重さの籠った寺の主婦に対い、まだ矢代は、携えて来た父の骨箱の背後に隠れるような、なじみの移らぬお辞儀で、日に灼けた畳の膨みや仏壇のある本堂への通路を見た。
「どうもながらく父もわたしも、御無沙汰いたしておりまして相すみません。」
 父子二代がかりの彼の挨拶も、寺の主婦の円い笑顔を通して、本堂の仏壇へ云い詫びる気持ちの方が強かった。またさらにその仏壇の奥ふかく連った今さき降りて来たばかりの背後の城山に対って、頭を下げたい思いも深まって来るのだった。寺は裏の城山がカソリックのフランシスコ宗麟に踏み滅ぼされたのと一緒に、焼き払われ、時を見て再び建った諸寺のうち、今も残っている唯一の古寺であった。
「和尚さん今日は御在宅でしようか。」
 矢代の問いかける間もなく、急に表情を沈めた主婦は、揃えた手もとへ視線を落した。
「それが今日は命日でございまして、――あの去年主人が亡くなったんでございますよ。それでお客が今、奥に来ていて下さいますので、ごたごたいたしておりまして。」
「御命日ですか、今日は。」
 ここの和尚も矢代は見たことがなかった。主のない寺へあらためて挨拶するのにも、日の射している座敷の隅隅から、彼は自然にまだ見ぬその人を感じたい注意になった。客を両手にひかえた多忙な主婦は、中腰に奥の間へ消えたその後から、まだ中学を出たばかりの青年が一人出て来た。黒い僧服の下からきりりと締った白衣の裾の見える姿で悧発な眼鼻立ちも美しかったが、矢代への挨拶も固苦しく、押し黙ったままひょこりとお辞儀をするだけだった。
「この子が今の代になりましたので、どうぞ宜敷くお願いいたします。」
 黙り通している子の傍から母親は紹介をかね、そう云い添えて、矢代をまた奥の間へ導かせた。
 先客は二人でいずれも僧服を纏っていた。躑躅の花の攻めよせ合った奥庭を背にして、一人は肥満し他の方は小柄の大小二人、僧属に共通の眼の鋭い客である。それも揃って禅行の姿勢を崩さず、黙然として暫く矢代を瞶め笑顔一つをするでもなかった。寺の主婦は二人の客を先代の友人だと紹介したが、それでも黙り通している窮屈さに、ひとり気をかねて砕けた主婦と対して、矢代は車中や東京の話をするのみだった。卓上には饂飩の小鍋を中に銚子が一二本乗っていて、彼の猪口が一つ加えられたところから察しても、今日のささやかな御馳走の後だと分った。
「皆さんときどきお参りに帰って下さるんですよ。去年も朝鮮から来て下さいました。」
 と主婦は、彼の親戚たちの帰郷のおりおりの様子を矢代に報らせた。故郷を散り出ていった矢代一族の帰る家は、今はこの見知らぬ人の棲む菩提寺だけになったのかと、矢代は一族の宿命にひそむ旅人の性格に、鞭うたれる痛みも感じ首垂れるものが加わった。連る僧たちの気詰りな沈黙も、遂に彼を打つ鞭の音に鳴り代って静静として来るうち、矢代はふと卓上の鍋の饂飩の底から、中に鋭く溌ね混った小鯛の骨を見つけた。すると、僧形に囲まれ沈んだ魚骨の白いその崩れが、しだいにそこからなごやかな命日の息を蘇らせて、不思議と一座が暖かな日ざしに変るのを彼は覚え、また仏壇の方へと心が向いてゆくのだった。
「ここのお寺は、たいへん古いお寺だとか父から聞かされていましたが、建ってからよほどになるのでしょうね。」
 と彼は右側の客僧の一人に訊ねた。
「三百五十年です。」
 座の端からこの寺の若い和尚が、中学生らしい声で初めて答えたが、それも亡父から聞き伝えたままの素直な響きで、同じく父を亡くしたばかりの矢代には悲しく聞えた。
「じゃ、相当に古いですね。」
 弛みの出た木組ながら、この下で棲んだ僧たちも幾代も変ったことだろうと彼は思った。旅をしつづけていたものらは、矢代一族のものだけではないのであった。この座に並んだ僧たちそれぞれも、家を出て、これで釈尊の故郷を胸に描き、寺から寺へと流れわたっていた旅人一属にちがいなかった。そう想えば、旅人の集りに似た宿所となった一間とはいえ、も早や互いに惻隠の情さえ通わぬのはただ想うふるさとの相違するものあるばかりかもしれなかった。
 矢代は自分の妻となるカソリックの千鶴子の念うふるさとはエルサレムだとふと思うと、一瞬胸ふさがる寂しさに襲われたが、そこを知らぬ彼には、前に並んだ僧たちの念い描くふるさとの、釈尊の歯を埋めたと云われるセイロン島の樹陰が不意に泛んだ。むらがり立った緑樹の驟雨にうたれて雫する下に、黄色な僧服の隠見した島で、霽れ間に空に立のぼった夕茜のひとときの麗しさ、紫金色のむら雲舞い立つその凄じい見事さにあッと愕き仰ぐ幻に似た荘厳幽麗な天上の色、今も彼には忘れがたかった。
「それでは、お詣りさせて貰います。」
 法要に来ている客への接待を、そのまま和尚につづけてもらい、折を見て矢代ひとり廊下をわたっていった。この寺の本堂も、山村でよく見る山寺と違わなかったが、ここに寺のあるからは、矢代の父祖たち滅亡のさい、城とともにいのちを捨てた者ら最後の場所かとも想像された。高縁の端に立って見渡す一塊の山野の眺めは、鏝で塗りあげたような水田の枠の連った山峡の風景とはいえ、嫩葉の伸びた草叢の襞に入り籠って来たものの品種は、セイロンからの仏の流れだけではなかった。南蛮と直接貿易をしたフランシスコ宗麟が、初めて日本に大砲を陸揚げして、彼の先祖の城を滅ぼした西の浦の入江も、すぐ真近の海べだった。この宗麟や千鶴子の信じたカソリックのふるさとの、フィエゾレ聳える西方の国国も、矢代は見て来た。
「およそ惟んみるに、生きとし生けるもの、尽くみな己れ己れの志を遂げんことを歎くなり。秋の鹿の笛によって猟人の為にその身を過ち、夏の虫の灯火に赴いて空しく命を失うも、この故ならずや。人倫もなお此のごとし。さればゼススのコンパニヤたち故郷を出でて茫茫たる海に浮かみ、雲の波、煙の浪を凌ぎ今この日域に来って貴き御法を弘め、迷える人を導きて直なる道に引入れんとする事も、心の願いを達せんがためなり。――」
 いつか読んだ信者に法を説いたキリシタンの僧たちの、ここに入り込んだ初めに語ったこんな言葉も、仏教より転じた仏僧の翻訳語から弘まっていたのだった。
「みなそれぞれ旅をしているのだ。すべてのものは旅のものだ。」
 凡庸な感傷も胸を透って、庭の中央に枝を拡げた一本の銀杏の樹を見上げ、矢代はそれも同様に支那から流れ来たものだと思った。隋の霊帝の弟がこの地へ渡って、さらに一派が三浦半島に移り棲んだという記録も彼は読んだことがある。しかし、渦巻き変り、入り変りしたこれらのものの残した苦しい愛海の呼吸は、みな今見るままのこれだろうか。しかし、何はともあれ、自分はこの風景の中から出たのだっ
前へ 次へ
全117ページ中108ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング