ら矢のように沼の水面へ射し透っている光の縞を眺め、ふとむかしのある時代を思い出すのだった。それは奈良朝から平安前期へかけてのころだったが、そのときも、日の光はこんなに縞を作り、嫩葉の色もこのように柔かだったにちがいないと思った。そして、唐から帰って来た留学生たちの多くも、結婚の際に、ちょうど今の自分のように、いにしえを想い、今を憶いし、追い迫って来る仏の思想から※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1−92−56]れ脱する労苦も繰り返し、妻となる婦人を仏の手から奪い取ろうとしたことだろう。
「僕はいま自分の部屋を直させているんですがね。この大工の細君は、とよといってずっと前に僕んとこにいた女中なんですよ。郷里が僕の母と同じなものだから、何かというと、今も僕んところへ来てくれるんだが、このとよが昨日も来て、僕たち大笑いしちゃった。」
矢代はこう云ってからとよの話を少ししてみた。矢代の母が雨もれのする家の壊れた部分を直したく、ある日とよの主人を手紙で呼んだ。手紙の着いたその日は折悪くとよの子供が自動車に撥ね飛ばされて即死した日だった。それにも拘らず母へ返事をその日に書いてくれたりしたとよの律義なことを云って、こういうことが外国から帰って以来、つよく印象に残るようになったと彼は話した。それも特に傑出した婦人ではなく、日ごろも凡婦で無教養だが、結婚してから良人が字を習わせてくれたことが何よりとよには有り難いと見え、来る度びに矢代の前で良人を他人のように賞め、感謝した。このとよがまだ結婚もせず、読み書きの出来ない日のころ、あるとき矢代の妹の幸子に手紙の代筆を頼んだことがあった。それは矢代たち一家のものには分らぬ郷里の男へ出す手紙だったので、幸子は代筆するにも困った。一二行気候の挨拶を書いてから、「何んと書くの。」ととよに訊ねると、とよは顔も赧らめずにペンを動かそうとする幸子の上へ、肥った熱い身を冠せるように乗りだした。そして、臆する様子もなくいきなり、
「夢のかけはし霞みにちどり思いかなわぬ身なれども――」
と、こんな調子ですらすら云い出した。それも大真面目で、男に捧げるあらん限りの愛情のその烈しさに、もう幸子は笑ころげ、とうとう手紙は駄目になった。
この話を矢代がここまで千鶴子にすると、千鶴子も腰を前に折り曲げて笑った。
「しかし、今はもう、とよもなかなか字が上手になりましたよ。もっとも、そのときの愛人は今の主人かどうかは疑問だが、あれほど細君から感謝され通している主人というものも、僕はまだ見たことがないなア。賞めるわ賞めるわ。またこの大工は、嘘というものが云えない人物でね。」
矢代は、このような原始的な、いのちの歓びに溢れた夫婦の美しさを、いつの間にかもっとも低級と思いがちになっている一般の判断がおぞましくて云ったのだが、しかし、そんな自分の意見は、この場合まだ二人には棘となって立ち云い出しがたかった。
千鶴子は笑いとまってからも思い出してからまたくつくつ笑った。それも暫くしてから、先日矢代に出した自分の手紙のことも同時に思い泛べたと見え、
「もうあなたには、これからお手紙あげないことにしますわ。」とそう云って軽く吐息をついた。
「何も今からそう謙遜したものでもないでしょう。とよの手紙のような文章は、僕等の時代のものには、誰も書けないんだからなア。実際、個性というようなものが、明治の中期から日本に這入って来て、だんだん人間が機械になって来たので、夢のかけ橋かすみに千鳥なんて、そういう風なものをみんな消してしまった。しかし、とよがまたどこで、そんな文句を覚えたもんだか。大宮人の感懐が、一番山の奥の田舎者にしみ込んで残っていたんだから、凄いですよ。ね。」
僕らは負けた、という意味をこめ矢代は千鶴子を顧みて笑った。沼の小径に円く並んだ紫陽花の莟がほんのり色をつけていて、躑躅も朱色を水際に映している。矢代は対岸のなまめいた赤松の肌を見上げながら、この公園がまだ大名屋敷だったそのころのことを思い描いた。そして、蒔絵の文箱を持った奥女中が矢立に帯を結び、水際の睡蓮の傍でそっと蓋を抜いてみている、その手紙の中の文章を想像した。それはおそらく、とよの手紙のように韻をふくんだ、鳴り出すような人間味豊かな手紙だったにちがいないと思った。それに今はどうだろう、自分にしても婚約のあいだの千鶴子に示す手紙に、光線の原理など書かねばいられぬ時代になっているのだった。そう思うと、とよの手紙に笑い転げたと同様に、自分の手紙にもそれ以上のおかしなものもあるのだろう。しかし、そのためようやく二人の離れようとする危機を先ず一応は喰いとめ得たのであれば、もう情熱の美しさだけでは人心を捉え得ぬ、非人間的な、多くの希望が人を寸断しかかっているのだとも思った。そして、みな人はそれぞれ何らかの意味で科学的になって行く。
「この公園をこうして見ていても、これからの世の中は、人間的なものと、非人間的なものとの和解になってゆくんだということが、つくづく感じられるなア。今日は結納の品定めに行くんだけれども、僕とあなたも、その放れた二つのものを一つに結びつけて行くようにしたいものだが、――夢のかけ橋だ。思いかなわぬ身なれども、という憂愁は、もう誰にでもある。」
矢代は傍に千鶴子のいることも、このときはもう忘れふとそう云って笑った。そして、千鶴子の片腕を一寸自分の腕へ組みとってみて、ぴたぴたと彼女の手の甲を片手で叩いた。いつかピエールがそこへ接吻したことがあるというその手の甲だった。千鶴子の靨もいつもより動かず、
「でもあたし何んだかしら、まだ恐いの。ほんとにいいのかしらと思うの。」
白足袋の下で舞いつづけている一匹の水すましの波紋を眺め、そういう声もうつろに響いた。
「どういうところが恐いのです。」
「何ぜだか分らないのよ。でも、恐いわやっぱり。」
「とよのようには、いかないものかな。」
矢代は何気なくそう云ったものの、しかし、今の場合に恐いという千鶴子の感情は、間違いのない正直なことだと思った。今の彼女には、恐くないより恐れるのも美しいことだった。またそうであってこそ、彼には頼りになり得られる清純なものも感じられた。
「あたし、そのおとよさんという方に、一度会ってみたいわ。」
「結婚式には来るなと云っても、飛んで来ますよ。」
「あなたは本当は、おとよさんのようなそんな方、お好きなのね。」
千鶴子はパラソルの柄を頬にあてがい、愁い気に矢代を盗み見て云った。
「好きとか嫌いとかいうものじゃないですよ。とよのような人物が、日本というものの底にいっぱいいるんですからね。そんな律義な、誠実な大群が、島いっぱいに詰っているんだと思うと、その上に桜の花が散って来れば、もう文句はないじゃないですか。女の人はどこの国の人よりも貞淑で、美人だし、食物は沢山だし、景色は美しいし、退屈しない程度に四季の変化は充分だし。何を男は苦しんでるんだか、分らないな僕には。」矢代は今日は、こうして先日以来の千鶴子に与えた悲しみを少しでも慰めたくて、いつもよりよく饒舌る努力も怠らないのであった。また今日の自分のいうことも、みな一種の歌に似ており、どことなくとよの手紙の文章とそんなに違わぬ内容に自然になって来るのも、このような特別の日だからかもしれぬと思ったりした。
二人は木椅子から立って芝生の丘の方へ行くと、制服の学生がひとり裏門から入って来た。その学生はいつも坐るらしい陽あたりの好い場所まで来て、うすい芝生の葉の上へ肱をつき原書を披いた。矢代は自分の学生のころを久しぶりに思い出した。そして、緑色の芝生の中で光る金色の背文字と白い頁を見て、あそこは自分も前に通って来た青春の日の駅だったと思った。
矢代は千鶴子と一緒に、東野や真紀子と室町へ出かけたのは二時を少し廻っていた。三越の呉服部で、結納の品を四人の意見で矢代のは袴にし、千鶴子のは紋服に定めた。それから暫く場内を廻ってから四人は外へ出て、上野博物館へ行った。これも四人は西洋のデパートや博物館と、日本のものとを較べてみたい気持ちに動かされたからだったが、三越の大きさや美しさは、決して負けをとらぬというのが、四人の一致した観察だった。殊に買物の際の勘定の迅さにいたっては世界一だと、東野は賞めた。中でも食堂の女ボーイの暗算の速度と正確さは無類であった。
「しかし、そこに油断のならぬものもあるね。」と東野は自動車の中で一寸首をひねり、そして、考えながら云った。「ね君、暗算が迅いということは、頭が良いというより、勘だからな。それだけ間違いを起しやすいという危険でもあるだろう。フランスなんか、勘定はいちいちお客の前で、紙を出して、寄せ算をやってみてから、それから答えを云って、お釣をくれるね。その釣りも、間違いをやっても損を少なくするために必ず小さい銭から先に出すが、日本のは反対か、あるいは一緒だ。」
「引き算は殊に外人は遅いようだね。」と矢代も思い出して云った。
「そうだ。あれは引き算を暗算でするのは、出来ないんじゃないかと思わずほど、のろのろしてるね、しかし、それというのも、誰もいちいち紙で書いて、答えを出す練習をしつけているからだよ。つまり、暗算という算術は上手だが、それだけ紙を基本とする代数がみな上手だということだ。そういうことは云い換えてみると、国民一般の頭が、もう算術という現実の世界と直接に動く平面的なものから離れて、代数という立体的な、抽象の世界で生活をしているという証明になるんだからね。これでなかなか、西洋と東洋というものは、開きが大きいよ。この開きを日本がどうするか、というのが今後の世界だ。間違いない。」
東野のそう云うのに、矢代は頷きながら、今日の東野は正確に一点から着実に話を拡げて来たものだと思った。そして、どういうことともなく、彼はいつもの日より槙三に会ってみたくなるのだった。
「東洋といえば、僕らは先ず中国のことを考えるが、これで外国人が東洋といっても、何も中国とは限らないでしょう。ギリシアだって、エジプトだって彼らから見れば、東洋に見えるらしいんだから、そこが僕らと大ぶ違いますね。」と、矢代は云った。
「そうだ。ギリシアも東洋風に外人には見えている。西洋文明の根本のギリシアがあんな風に見えてるんだと、僕らもこれで一寸考え直さなくちゃ、分らなくなることが多いよね。ゲーテの全作品が、全体を通じてどことなく東洋へ傾いていると、そんなにヴァレリイは云ってるよ。そしてね。それが面白いんだが、かくのごとく東洋を好きだということは、こんな西洋的なことがあろうか、と結んでいるところがあった。うまいね、なかなか。その筆法を用いると、僕らが西洋を好きだということは、これほど東洋的なことがあろうか、と、そう云わなくちゃならん。どうかね。しかし、君、これは本当のことだよ。」
「なるほど、それは素晴しい表現ですね。」と矢代は感心して云った。
「そうだよ。実に立派だ。」
「平和というものは、そういう表現力にひそんだ力にあるなア。」
「僕らはそういう心を拾い上げて、機会あるごとに、それを巧みに云いふらさなくちゃならん務めもこれであるんだが、とんと皆は、忘れてしまうんだよ。僕は近近一度、中国へ行こうかと思っているんだ。小学時代からの友人が中国へ行っていてね、蒋介石に好かれているんだが、この男が来い来いと云って聞かないんだよ。」
「あなたの中国行きは、硯を探しに行くんですか。」と矢代は訊ねた。
「いや、そういうこともあるけれども、しかし、これで中国という国は、そこは日本と違って、文学者を非常に信用してくれるところだよ。文学者だけは、謀略をしないと信じ切っている。そういう伝統がむかしからあるのだね。他のもののいうことは、直覚的に、少し割引きして話を聞いているところも、文学者にはそうじやない。小谷もむかしは文学青年だったものだから、多分ひとつはその誠実さがまだ残っていて、そこが蒋介石の気に入ったところかもしれないね。」
車が上野の杜の中へ這入ってい
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