取り返しのつかぬ危険も千鶴子に迫っているように感じられた。同時にまたそれは、自分にも連り迫っていることだった。しかし、焦ればこれは、鎮めようもなく騒ぎたつ心の煙りに似ていて、ふと彼は満洲里の国境にさしかかって来たときに、覚えたと同様のいら立たしさが、再び蘇って来るのだった。
折よく丁度このときはまだ午前中だった。矢代は窓を開けて欄干の傍へ立った。井戸の傍で洗濯をしている女中の丸まった背と、日光の射した石鹸の泡立つ盥の中の手の赤味が健康な感じがした。見降している間も、冬を越した霜焼のようやく癒えたその手の、しゃきしゃきと動くのが、微妙に明るい暗示を誘い、何かしら彼はあれだなとすぐ思った。すると、今まで読んだキリストに関する書物の全部が一斉に頭に噴きのぼって来て、彼は書斎の棚の中から即座に眼についた一冊を躊躇することなく抜き出し、どこということも定めず、指でぱっと披いて、このときも最初に眼を牽き込んだそこを見た。
「我が好むは憫みなり、犠牲に非ず。」
それは旧約ホゼア書の六ノ六からの抜文の部分だった。彼はまた別の頁を批判をせずに披くと、「決定的の御召」という小見出しで、
「人我に来りて、其父母、妻子、兄弟、姉妹、己が生命までも憎むに非ざれば、我弟子たること能わず。」
こういうルカ十四ノ二十五、二十六、という異常な激しさに満ちた言葉の部分が出て来た。矢代はこのとき、我という一字はキリスト自身の意味ではなく、神という意味だと直覚した。この「我」をもしキリスト自身という意味に世の宗教家たちの云うごとく誤解すれば、地球上に悲劇を撒き散らして歩くようなものだと思った。しかし、その事実が西洋というものの今の苦痛で、やがて世界の苦痛に変ろうとしている部分であり、それは偽のない誤りの根元のような気がされた。
「ああ、これは世界中の大問題だ。」
矢代はいきなり大きすぎる問題にぶち当った思いで、手放しのままこう歎息した。しかし、自分にとっては、それは今や身にさし迫って来ている、緊急必死の処理を要する危うさだった。そして、それはまた実際に、日本の中だけを想い見ても、この一寸の誤りのため、天正十年から寛永九年にかけての四十年間、幾万人の日本人が殺戮されて来たことだろう。しかも、なおそれがそのまま続いて平然と流れている形だった。
「我が好むは憫みなり、犠牲に非ず。」
これほど深い思いやりの籠った優美な言葉をいうものが、どうして「我」をこの場合に、キリスト自身の意味として、そんなに人を殺していく発音に昂めさせることだろうか。
矢代はまたさっき見降した女中の手の赤味を思い出した。手を使え、正しく使え、日に輝いた無数の泡の中で、そのときどきに随って手を動かせ。不浄なものを洗い浄めよ。
こういう日光の中の訓えが、今矢代に降りかかって来ているように考えられた。彼は暗怪な僧侶どもの手の中から千鶴子を救い出したくてならなかった。彼は鱗を逆立てるように獲物を見据えているうちに、自分の体中に含められている剣が、次第にせり上り、口から噴き出てゆきそうな身顫いを感じるのだった。
「僕はこの手紙をこうして書いておりますが、あなたの悲しげな顔が泛びます。今僕は、眼に見えた物象の中で、直接これがこの瞬間の、僕の神だなと感じたものは、太陽の光でした。そして、これ以上の真実はこの瞬間にはありません。またこの光は、僕にとりまして、たしかに僕の光です。僕がここにこうしていて、他のどこにもいないのですから、僕もあなたとは光のために、いろいろと楽しい生活をさせて貰いました。何んと楽しいことが多かったか今にして思います。僕は古代人のように、自分のおん神に感謝します。こう云いますと、お前は世界の光を知らぬのだと笑う顔も、必ずあります。ところが、どこの世界へ行きましても、僕らにふりかかって来た光は、僕らという物があって、そして光るのでした。これはあなたと僕の重要な実験済みのことでした。これを感じることもなく、光こそは世界のどこのものでもない共通のものだと思うのは、これほど正しく見える幻影がありましょうか。自分のいない所の光などを、光と思い得られる激しい幻影というものは、西洋には誰にも古来からあるものです。そして、皆そのままに信じ消えうせてしまいました。いったい、この美しい魔法の種は何んでしょうか。――僕は一見誰が見ても愚かな詭弁だと思われそうな、こんなことなどを書くに就きましても、前には、光の原理や色彩というような、光そのものの中に七色があるというニュートンの抽象的な光や、いや、光は、光あるものに出あって光るというゲーテとの、難かしい例の二人の論争的研究や、ギリシア以来のそれらに関する、歴史的研究などというものも、ともに多少は眼を通してから後の、この手紙です。光に関しましては、僕は、ゲーテ派ですが、光を道義と感じる僕らの国の人とは、よほど変った虚無的な、これなら消える筈だと思われる節節多く参考になりました。あなたも少しはそれらも読んでみて下さい。そうしますと、この奇怪な僕の論証も、詭弁の様相をなしつつ、どことなく愛情ある囁きに似た、人間的な一条の真面目な行為の光だということを発見して下さるにちがいないと思います。実際、光に関しましては、むかしからいろいろな学者が自分を瞞著して、沢山な犠牲者を出して来ました。僕はそれが口惜しくて、誰がいったい、僕のこの人間的な物思いを打ち壊くことが出来るかと、じっと見ていたい不遜さえ感じるほどです。福音伝でもこう云います。
『我が好むは憫みなり、犠牲に非ず。』
この言葉は正しい。これを取り巻く悪僧どもが、この真実の憫みを一千年も犠牲にして来ました。あなたも一日も早く、自分の真の光を信じて下さい。幻影の犠牲になどなってはなりませぬ。僕らの中には、光るものもあればこそ、天上から射す光をも受け眺め得られる、おおみたから、という言葉さえ使用されているのです。この冒しがたい、どっしりとした、どこかゲーテに似ている僕らの光の御旨あるところを感じて下さい。そうしますと、それぞれの他国にも、色彩の差はありながら、光るものがあるということも鮮明に浮き上って参ります。これが平和の基本でありましょう。
『すべての邦をしてその所を得せしめよ。』
これは僕らの国のすべての光を集めた父祖の言葉です。何んという細やかで、壮麗な、浸透無端な、光の根元を中に抱いた超越力のある言葉でしょうか。それも太古のむかしから連り、今も変りありません。この現実性をかねた抽象性とも申すべき、これ以上に人の心身ともに救う平安な言葉というものは、ありますまい。この千差万態の変化を許容されつつ、その中に流れた、純粋現象の絶えざる回帰を本願とせられた理想に勝って光る理想が、ありましょうか。もっとも健康な理想のみが不滅であるということは、どこから見ても、一貫した現象世界の根本法則でありましょう。これは疑い得ないことです。繰り返して申しますが、自分の光を浄く信じればこそ、他の国の光をも完全に認め得られるということを強く信じて下さい。これを傲慢になることだと思うような、女女しい思いは夢夢なさらぬように、僕は僕たち日本人ほど他の国国に愛情を瀝いで来た人種もまた少いと思い、ひそかにそれを美徳と思うものであります。それは瞭らかに歴史に出ている、偽りのない純粋無垢な愛情です。それあればこそ、他国の滅びゆくのもまた僕らの国の父祖は、何人よりもお歎きになりました。そして、あなたはその深いみやびやかな御心の一端を、識らずに受け継がれたお使者の一人です。僕はあなたを攻撃などする積りで毫もこの手紙を書いているのではありません。静にお読み下さらんことを。
蝶二つ飛びたつさまの光かな
[#地から2字上げ]矢代
千鶴子様
矢代はひと息に手紙を書きすすめた。ともすると、千鶴子に宛てて書いているのも危うく忘れそうなまま、書き終ると気持ちも楽になったが、疲れも同時に覚えた。これでもし千鶴子のどんな感情も動かせない始末になれば、そのときはどうすべきか、その後の、自分の方の態度も決定しなければならなかった。またこれは、受けとった千鶴子を前より一層、追い詰めることになりそうな部分のひそむ手紙であるだけに、ひと息にいうことも、なお恐怖を与える種子ともなりかねなかった。しかし、今はもう躊躇すべきときではなかった。大事のときには抱いている袋の口も解くべきだと思い、彼はその手紙を速達で出すことにした。
千鶴子からは二日目に返事が来た。内容は矢代の手紙に自分として異を樹てるところはどこにもないのみではなく、幾回も繰り返して読み、訓えられたことも少くなかった旨を感謝してあった。殊に手紙の中で、自分らがみやびやかなお心の一端を担うお使者だというところで、はっと眼が醒めたような思いのしたこと、そして、そんな大切なことを今まで誰からも訓えられなかったことを残念に思い、自分はそのお使者にさえなり得られるものでないことをも初めて気づいたと謙遜してもあって、全体は平凡ながら、素直なこころ持ちのよく出たものだった。
矢代は自分の手紙に対し、反抗しようとさえ思えば限りもなく出来る部分の多いときに拘らず、そこを終始緘黙していてくれた千鶴子に、遠く共に海を渡って来たものの親しみを一層つよく感じた。もし千鶴子が日本を少しも出ず今のままにいる婦人であったなら、あるいは、二人の間はこのまま事断れていたことかもしれぬとも思われた。その点、帰って以来、会うごとに少しずつ暗示を与え、なだめすかし、見て来たものの相違を揉み込むことに努めた自分の忍耐も、ようやく芽をふいて来たと思って彼は喜んだ。
矢代と千鶴子が東野の宅へ行ってからは、東野は千鶴子の兄の由吉としばしば会った様子だった。その度びに、自然に矢代と千鶴子の縁談も、勝手にこの二人の粋人の手の中で進められた。その間には、真紀子や塩野もともに加わっていることも想像されたが、一方その勢いに巻きこまれて、塩野の縁談まで一緒に押し進められている形勢があった。
結納品のことなどは、矢代は母と相談の結果、東野に一任することとした。千鶴子の家の方も同様の意向で、日を決めて、東野は両家へ出かけて来ることにもなった。
嫩葉はよくほぐれて伸びて来ていた。矢代は千鶴子に手紙を出してから、暫くの問を隔いたある日の午後、彼女と、また松濤の公園で東野の宅へ行く前に待ち合せた。二人が公園の木椅子に並んだとき、暫らくはどちらも手紙の内容に関しては触れようとしなかった。睡蓮の新芽がまだ巻葉のまま水面に突き立っている他は、園内の木の葉は黄色を滲ませて美しかった。幾らか面窶れを見せた千鶴子の頬の細さが、日ごろよりも鹿に似て見える唇に、薄紅をつけているのも、木の葉の裏まですき透った日射しに湿れて映え鮮やかだった。
「眠れないって、まだですか。」
矢代は千鶴子の手紙の中の不眠のことを思い出し、それもそうあろうかと、むしろその方が彼女の篤実ささえそこに感じて同情した。
「このごろはいいんですの。」
胸の底ふかくからようやく出て来たような、ぼんやりした千鶴子の声だった。そのうち、手紙から受けた痛みの脱落してゆくものに代り、何か、再び満ちゆく明るいものもあろう、という意味のことを矢代は云いたかったが、今はなおそのまま、自然な心の姿にしておきたく思った。時計を見ると時間はまだ早かった。東野と一緒に三越へ行って、結納の品を三人で整えるこの日の訪問だったので、今から彼の宅へ上り込むよりも少しここで時間を費したかった。もともと三越へ品定めに出かけることを云い出したのは真紀子にちがいなかったから、東野邸へは、真紀子は誰より早く来ていそうにも想像された。
「しばらく見ぬ間に、この五月というのは、自然の変化が素晴しく迅いなア。」
滑らかな榎の肌から噴き湧くように、点点とした新芽は鮫小紋に似ていた。気体の含んだ水気が嫩葉の裏にまでしみこもっていて、しなやかな葉脈が葉の重さを耐え支え、静謐な湿りの重なりあう隙間にまで、日の光が充ち跳ね返っていた。矢代はそこか
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