、彼の身をよろめかす温みでもあった。しかも東野の瞳の中には、こちらの結婚という急所を睥み据えた鋭い笑いの秘められているのも、返答を待つことの特別巧みな東野としては勿論、矢代の入社試験の問題をもともに投げ出しているにちがいなかった。
「とにかく急所を固定せしめないように、暫くその返事延ばさせてくれませんか。」と矢代は答えた。
「うむ、しかし、向うは大真面目だよ。」と東野はひと言洩すと、漸次机上の物を片附けていった。
矢代は東野の立ち上った甚兵衛羽織の後姿を眺め、継ぎ継ぎと大小の礫を投げつけては姿を昏ます迅速なその手際に、ついこちらも自分を無くしてゆく疲れと寂しさとを感じ、またこれからの食事も共にしなければならぬ数時間の長さが、異常な忍耐に思われて来るのだった。
夕暮が迫って母屋の方から東野の子供の声の聞えて来たころ、三人は家を出た。
夕食は東野の行きつけの相鴨を食べさす店だった。上げ潮の隅田川の水に灯の映って見える玄関の軒灯をくぐり、二階へ昇って行くと真紀子はもう先に来ていた。彼女は東野とはつねに会っているらしく、二人の間で何の挨拶もなかった。矢代はパリでは真紀子と宿が同じのせ
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