もないわ。お連れして上げなさいよ。」
千鶴子は矢代と幸子との間にあった昨夜の不明瞭な喰い違いの様子も敏感に察したらしく、場所には似合しからぬ唐突な笑顔だった。矢代は京都行きの決定についてはそのまま曖昧な気持ちを残し、それ以上はどちらへとも押し切ることを出来ぬこのような難渋も、以後家庭生活に這入れば山積して来るであろう重圧感を覚えたまま、さきから眺めつつつい忘れていた、千鶴子の清潔な白足袋の下の水面へ絶えずぶくぶく噴きのぼっているメタン瓦斯の泡沫を看守り、どのようなことも日の光りのもとで切り開かれぬことはあるまいと、彼の覚悟も自ら定って来るのだった。矢代は古沼の底に漸く足の届いた思いにもなり、「さア、行きますか。」と云って木椅子から立ち上った。そして、千鶴子にこの沼の睡蓮を見て何か思い起すことはないかと訊ねると、
「あッ、そうそう、あたしさきからあなたに云おうと思っていたところなの、ほら、ね、チュイレリイの――」
と千鶴子は急に眼を耀かせて矢代を見た。
「モネー館。」
「そうそう、モネー館、あのときは蛙みたいに、まん中のベンチに坐って、二人でお腹を空かせていたの思い出すわ。ほんとにこ
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