、よく意味の分らぬままにも暫くそれを呟きつつ彼は俯向いて歩いた。
 まだ棕櫚縄の結び目の新しい千鶴子の家の建仁寺垣が見えて来たとき、塩野は、「じゃ、ここで失礼しよう。さようなら。」と千鶴子に云った。
「どうもありがとう。でも、ちょっと休んでらっしゃらない。まだそんなに遅くはないんですもの。ね、お這入りになって――」
 千鶴子はいつも入りつけている塩野に云う無雑作な声だったが、入れば中にいる彼女の母に初めて会う矢代の困惑の様子を慮ったと見え、幾分ためらう色のひそむのもすぐ闇の中で矢代は感じた。
「どうしょう。休まして貰うか。」と塩野はまた矢代を見て訊ねた。
 今夜は千鶴子の家まで送ろうと、横浜でそう云い出したのは矢代自身だったが、それも中へ入るつもりの毫もなかったこととて彼は返事に窮し、「しかし、もう遅いからここでお別れにしよう。」と云って停った。
「でも、ちょっとお茶でもめし上ってらして――」
 と、今度は千鶴子は矢代にはっきりした笑顔で云った。このときは前のためらいも消えていて、いずれ来るものは来ると即座に決断した女性の大胆な変化が見えた。チロルで氷河を渡ろうとしたときも同じ落ちつき
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