忘れるほどになった。道路の中央に椎の木が肌に飴を噴き流し一本立ちはだかっていた。穴のある節くれ立ったその幹の裂けた半面に、交番の灯が射していた。矢代はいつか秘かに来て見てここで車を降りたときの、見覚えのある樹と交番だと思った。
 近づいたとき彼は、馬の首を打つように懐しく椎の幹を叩きながら、
「もう遠くはないなア、これは見覚えのある樹だ。」とひとり呟いた。
 それは名木だった。高さは夜分で分らぬながら、見上げる枝は道いっぱいに拡っていて、四人づれの矢代らは両側に裂かれてそれぞれ通っていった。練塀を連ねた静かな小路に瓦がしっとり重く湿って見えるころだった。
「君来たことあるの、ここへ。」と塩野は不思議そうに訊ねた。
「一度通ったことがあるんだ。秋だったかね。」
 外国から帰った当夜、自宅へ戻るより先に、ここまで飛ぶように来たときの、あの思い上ったような寂しさや身の軽さを彼は思いあわせ、今夜の夜道はそのときとは違い、よほど踏み応えのあるたしかなものに見え、これからも幾度ここをこうして通ることだろうと考えたりした。しかし、そういえば、千鶴子と初めて船で会ったとき以来月日はまだ一年よりたたない
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