とから、自分が満洲里の国境を突切って入って来たときに感じた清純な心の呼び声を、今再び彼から聞きとるように感じ、
「やるよやるよ。」と答えて背を延ばした。そして、埠頭の歩廊で真紀子と東野の間に、忌わしい想像をめぐらせようとしていた自分に対して彼は恥じるのだった。なおまたたといそんなことがあったとしても、この今の彼の感動は、千鶴子と自分の結婚のときに仲人を東野に頼みたいと思わせて、他に適当な人は自分には見当らないとまで彼に思わせて来るのだった。
「僕が帰ってからあなたはパリで講演をされたそうですね。誰だか云ってたが、あ、そうだ君だったね。」と矢代は傍の塩野に訊ねた。
「講演か。あれは僕の一世一代の冷汗をかいた日だったよ。生きれば恥多しとつくづくあの日は思ったね。しかし、フランス人というものに、実はあの日初めて僕は感服したんだが、――」こういってからどういうものか東野はまた黙りこんだ。
 矢代は東野の感服したのはどういう点かと訊ねてみたが、そのときにはもう車はニュー・グランドの前まで来て停った。東野は一同の先に降りると、前の山下公園の方を一寸見てから、ホテルへ入らずつかつかと海際の公園の中へ
前へ 次へ
全1170ページ中898ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング