ていた景色だった。それが今は、ぶつりと背後の紐は断ち切れて、眼に映る港の建物、船舶、街路の起伏に連る人家の隙間と、直接自分の根を張りわたらせる樹木のように、独立してゆくものの切迫した、初初しい悲しみを彼は覚えて来るのだった。それはまた静かな勇気でもあったが、絶えずうち上る波の光りにも、そのおのおののぴちぴち鳴り合う呼吸が感じられ、肌身に迫り透って来るのだった。
「僕はね、昨夜も叔父から結婚をすすめられたんだが、どうしようかと思ってね。それとはまた別に、外務省と連絡をつけて、海外版の写真雑誌を出すことにもなっているので、その方を先きにしてから結婚しようかと、昨夜から迷ってるんだよ。どうしたもんだろうね。」塩野は少し突然な調子で矢代に訊ねた。この人にもやはり生活の苦労は襲っているのだと矢代は思った。
「しかし、それはどっちを先にしたって良いのじゃないか。叔父さんのいる以上は。」
「ところが、叔父からはそういつまでも、金を貰っちゃいられないのだよ。」
「しかし、それにしてもさ。」
「ふむ――しかし、結婚するとしても、どうだろう、もう僕は中国と戦争が起りそうな気がするんだが。起らないかね。」
前へ
次へ
全1170ページ中881ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング