れを抜き出して懐中に了い込んだ。千鶴子にはまだ父の死を報らせてなかったのに、偶然にも手紙が告別式の前に届いて来たことは、内容はともかく、ともに彼女も父の葬儀に列ってくれる意志のように思われた。紋服の出入の激しい渦の中でも、矢代は何んとなく懐中に一点の温もりを感じ、消え残っている庭の雪を眺めて立っていた。もし父の死が今より遅く来たものなら、あるいは千鶴子も、自分の家の中心になって立ち働かねばいられぬときだった。それも、彼女のために先日買って届いて来たばかりのソファが、応接室で人知れず客を坐らせているだけの、今の勤めであった。
 彼には父だけは自慢で千鶴子にひと眼見て貰って置きたいと思った。
 間もなく寺から来た僧侶の誦経が始ったので、矢代は家の者や親戚たちと一緒に棺前に並んだ。誦経の声は渋い良い声だった。意味がよく分らなかったが、真宗の教祖の親鸞の思想は、前から彼は好きだった。
 よく晴れた暖い日で、いつも来る鶯がこの日も庭に来ていた。父のいた平安な日が今日も外には来ていたのだと、ふと彼は思った。
 それにも拘らず、起ることは起っている――そう思うと、その起って来た死も特別なことではなく
前へ 次へ
全1170ページ中860ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング