矢代は答えるのがもう辛かった。それは別に答えに窮したわけではなかったが、卓の一端には、自分の信じている神とは違う神を信仰している千鶴子や塩野たちのいるのを思うと、ただ黙って笑うより法がなかった。もしこれ以上に自分が言葉を云えば、二人のみならず、その他の客の首を絞めつけてゆくことになるかも知れない惧れを感じたからだったが、しかし、何故ともなく矢代はこのときから悲しみを感じて来た。矢代の返事を待っていた遊部は、いつまでも黙っている彼の躊躇に意外に早く勝ちすぎた遠慮のある思いで、ナイフを取り上げると端正に鮭の肉をすっと切った。そして、まだ惰力で少し云いつづけ、ピューリタニズムの精神とニュートンとの合致を説明してから、静に矢代に止めを刺すようにこう云った。
「僕はやはり科学の合目的性を信じるんですよ。世界の人間の一番共感出来ることといえば、いろいろな国の特殊性という変容したものの中から、普遍性を抽き出して、これを認め合うということよりないですからね。僕は神というものも、それよりもう感じることが出来なくなっているときなんだと思うんです。」
「君の苦心してやっているのは、音楽じゃなくって、音学と
前へ
次へ
全1170ページ中814ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング