もあって、戸の辷る音も続いてするのに、入の姿のまったく見えぬ朝の湯は、いつもながら矢代を愉しくのどかな気持ちにした。
 そのうちよく饒舌る客連れが出ていった。ひっそりした後の水面で鳴る波紋の音だけ、ちゃぶちゃぶ聞えた。
「あ――あ。」
 と、湯の縁のどこかで、思いがけなく大きな欠伸をするものもあった。たがいに顔を見合せぬように、なるたけ人人は離れる工夫でそれぞれ湯の中の位置を撰んでいても、新しく入り込んで来る客があると、自然にそれもまた少しずつずれ違って廻った。
 矢代は槙三や千鶴子たちとどういうものか、湯の中で出会わぬことを希ったので、傍に人が近づいて来る度びに顔を背けて移動し、濃霧の中の自分ひとりの世界を愉しむのだった。しかし、近くの水面から人の立ち上る音や、蛇口から垂れる水音など聞えて来る中に混って、二つ小さくつづいて聞えた咳き声が、何んとなく千鶴子らしい聞き覚えのある咳だった。昨夜の急な寒さで風邪でもひいたのだろうかと、矢代は気にかかった。湯の縁をひと廻りしてみればすぐ確かめられることだったが、それが彼にはやはり出来なかった。槙三をまだ寝かせ一人で先に湯に来たものとすると、間違
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