ね。」
改札口の所の矢代を見付け、千鶴子はまだ車内の蒸気の熱に浮かされた頬で笑った。それはまた夢の中の彼女とはまったく違った顔だった。宿の番頭に荷物を渡してから千鶴子は由吉の弟の槙三という青年を矢代に紹介した。一見彼女の弟かと見える槙三は、帝大の学帽のまま最初から稀に見る穏やかな笑顔をつづけて黙礼したきり、始終黙りつづけていた。由吉とはおよそ違った性格らしかったが、矢代はすぐ好きになった。五人兄弟のうち千鶴子が末っ子だということを彼は記憶していた。しかし、一つ違いの兄のあることは迂濶に今まで忘れていたのを思い出し、まだ自分の頭も常態ではないのかもしれぬと、馬橇の箱の前で矢代はふと思った。汽車の明りは闇を残してまた駅から離れていった。
寂しくなった雪明りの駅前で、汽車の吐き降ろした千鶴子を中心にまだ華やかな匂いが舞い残っていた。
「宿へ着くまではちょっと驚かされるんだが、明日になるとこれで捨てたもんじゃないですよ。」
橇が動き出したとき、窮屈な座席の後で、矢代は槙三を連れ出して来るまでの千鶴子の苦心を想像して云った。彼女の病気のことや、冬の休暇になった槙三の保養のことなど話が出てい
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