、僕の所へ来ることを喜ばないから、千鶴子さんにしても同様だと思うんだ。」
「しかし、君も一度夢の中で本当の結婚式を挙げてあるんだから、そう急いだもんでもないだろう。何しろ相手は現世のことなんだから、人間めいた臭いもするさ。まア宜しくやりなさい。君も夢を見たついでだ。」
 と欅は笑う。矢代はこの欅とこんな問答を始めるときは、相手の端正な姿に心がのびやかになり、情熱のさめ冷えて来る危険も感じたが、こちらの頭を正すには何よりこの樹は役立った。しかし、「君も夢を見たついでだ。」とそう云い放つような欅の立姿には、矢代もふと心中つかえるものを感じて考えた。すべて夢というものは、現実よりも高雅な美しさに充ちていると思っていたときであるだけに。去年から道路を拡げ始めている工事が欅の下で着着と進んでいた。やがてここの停留所も除かれてしまい、そのときになれば、欅もともに截り斃されてしまうのは定っていた。彼はその後の明るく拡った空間を想像して、この欅と別れるのも間もないことだと思った。
「もう暫くすれば君ともお別れだね。」
「どうもそうらしい。毎日足もとを見ているがね。そこまで来とる。」
「寂しいか。」

前へ 次へ
全1170ページ中694ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング