く矢代を睨んでいたが、急ににやにやすると、
「いったい、君はそれほど威張れることを、無断でしたのか。」
「僕は婦人に対してだけは、むかしから春風駘蕩派《しゅんぷうたいとうは》だからな。何をしたか君なんか知るものか。」
 いくらか葡萄酒の廻りもあってつい矢代も鼻息が荒くなった。
「さア、今夜は君らから放れてやらないぞ。どこまでもついて行ってやろう。ギャルソン。」
 ボーイが来ると矢代は勘定を云いつけた。
 支払いをすませて外へ出たときはもう全く夜になっていた。三人はゆるい坂をルクサンブールの方へ登っていった。たゆたう光の群れよる街角に洋傘のような日覆が赤と黄色の縞新しく、春の夜のそぞろな人の足をひいていた。
 カフェー・スフレのテラスは満員であったが、ようやく三人は椅子を見つけて腰を降ろした。
「あたし、横浜へ行ってみたいわ。」
 とアンリエットはショコラの出たときに矢代に云った。
 並んだ黄色な籐椅子にいっぱいに詰っている外人たちを久慈は煙草を吹かしながら眺めていたが、突然矢代の方を向き返ると真面目な顔で質問した。
「君、君はパリへ来て一番何に困ったかね。」
 矢代はしばらく黙って考え
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