にそう云ってから、庭の隅にある四間ばかりの高さの築山を指差した。
「これは目黒富士といってね、これでも広重が絵に描いてるんだ。近藤勇もよくここへ来たらしいんだが、どうも日本へ帰って来て、少しうろうろしているとき気がつくと、すぐこんな風に、歴史の上でうろついてるということになってね。広重もいなけりゃ、勇もいやしない脱け跡で、これから僕ら、御飯を食べようというんだからなア。」
「そう思うとあり難いね。御飯も。」
塩野は庭下駄を穿いて飛石の上を渡り、目黒富士の傍へ近よっていった。薄闇の忍んでいる三角形の築山全体に杉が生えていて、山よりも杉の繁みの方が量面が大きく、そのため目黒富士の苦心の形もありふれた平凡な森に見えた。しかし矢代は廊下に立って塩野の背を見ながらも、やがて来そうな千鶴子のことをふと思うと、争われず庭など落ちついて眺めていられなかった。パリで別れてから、大西洋へ出て、アメリカを廻って来た千鶴子の持ち込んで来るものが、まだ見ぬ潮風の吹き靡いて来るような新鮮な幻影を立て、広重の描いた目黒富士の直立した杉の静けさも、自分の持つ歴史に一閃光を当てられるような身構えに見えるのだった。
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