。立ち際の気の散る様を抑えながら千鶴子は、
「あたし兄さんから、フロウレンスへ行って来いと云われたんだけど、とうとう行けなかったわ。でも、短い時間じゃ無理ね、どこへも行きたくなくなるんですものね。」
こんなことを云っているうちに、エア・フランスのマークをつけた銀色の機の扉が開かれ、もう客たちが中に這入るのを見ると、千鶴子は急に顔色を変えてハンドバッグを脇にかかえ込んだ。そして、矢代の眼を見詰め、
「じゃ、行ってきますわ。御機嫌よう。」
と云った。
「さようなら。」
思いがけなく早い別れに矢代は、「さようなら。」を返すのも軽い声より出なかった。握手をしてから千鶴子は芝生の方へ歩いていったが、また一度こちらを向き返るといつもの笑顔に戻り軽快な歩調だった。三つのプロペラが一つずつ廻り出したとき、千鶴子は機の踏段に足をかけてまた矢代の方へ手を上げた。
矢代は瞬間扉の口へ絞りよせられるような眩惑を感じ、千鶴子が中へ消えると、初めて機体が芝生の中に形を整えたはっきりとした一箇の鳥の姿に見えるのだった。千鶴子は羽根の真上のあたりの窓からこちらを覗きながら手袋のようなものを振っていたが、その窓
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