おうと、どちらもわれわれの生活へ戻ってゆくのだと矢代は思った。それが不幸になろうと幸福になろうと、何を今から恐れたことだろう。――夢見るだけは、もうここで自分らは夢見て来たではないか。そんなら、帰れるものだけ早くさっさと帰れば良いのである。――
 こんなに思うと、矢代も急に千鶴子を前へ突き動かしたくなって来て、
「さア、もう僕も帰りましょう。こんなにはしてられない。」
 と云うとグラスに残った葡萄酒を一息に傾けた。彼は立って千鶴子に強く握手をしながら、寝過したら電話で起して貰いたいと頼み、
「さようなら。」
 と云った。
 千鶴子は手を出したまま握り返さず、黙って矢代の顔を見ていたが、本当に帰って行く彼を見ると後ろから急いで立って来て、
「じゃ、さようなら。」
 と一こと云った。矢代は暗い廊下へ出てからエレベーターの前まで来て、上って来るボックスを待っていると、千鶴子は後から追って来て彼の傍にまた青ざめた顔で黙って立った。
「あなた本当にお帰りになるのね。」
「帰ります。」
 と矢代は灯の点いたエンジケイタの針の動きを眺めて云った。針が五階に近づいて来たとき、千鶴子は肩を寒そうにつぼめ
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