入ってみたが、真紀子はまだ戻っていなかった。彼はソファに凭れて舞台を睨めていてももう何の興味も起らなかった。自分のタキシイドの胸板の白さが広い部屋の中でいやに生き生きと嵩ばって見え、早く終幕も一度にしてしまってほしいと思いながら、彼は欠伸が一つ出るとまたすぐ次ぎに続けて出た。
舞台は恋愛に破れたアルマンが出て来て賭けをし始めるころから少し面白くなって来た。今にあの賭けで勝った金をマルグリットに投げつけるのだと思う予想が矢代のいら立たしさを慰めてくれるのだった。そこへマルグリットが這入って来た。彼女は別れたアルマンのいるのを見てひどく驚く様子をじっと圧え、一緒に来た男爵の傍に立ったままアルマンの自棄な姿をときどき見た。そのとき急に矢代は後頭部に生ま暖い触りを感じた。何気なく仰ぐと千鶴子が黙ってソファの後ろに立っていた。
「真紀子さんまだ?」
前に廻った千鶴子はソアレの膝を一寸摘んで矢代の傍に坐った。真紀子と違う香水の匂いが鮮やかな水流を矢代の頭の中に流し込んだ。
「ピエールさん抛っといてもいいの?」
「ええ、そう云って来たの。お友達がいるからって。」
千鶴子はほッと吐息をもらして部
前へ
次へ
全1170ページ中297ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング