なときもあったのかと矢代は思った。しかも、この野蛮さが事物をここまで克明に徹せしめなければ感覚を承服することが出来なかったという人間の気持ちである。このリアリズムの心理からこの文明が生れ育って来たのにちがいない。それなら瞞されたのはこっちなんだ。――矢代はひとりキリストの血の彫像の周囲を幾度も廻ってこう思った。そうしているうちにその瞑目しているキリストの姿から、なぜこんな痩せ衰えた姿となってキリストが殺されねばならなかったかという事情が、ははアと朧ろに分ったような気持ちがするのだった。
「ここじゃ、リアリズムがキリストを殺したのだなア、つまり。」と矢代は、一つヨーロッパの秘密の端っぽを覗いてやったぞという思いで建物から外へ出た。千鶴子と久慈は早くも外の観台に立って、風に吹かれながら明るい光線の降りそそぐ遠方の半島を眺めていた。すると、それもまた幾度も日本で見たセザンヌの絵の風景そのものの実物であった。あの絵の具という色で追求に追求を重ねた実物の半島――それ以来絵画を観念化せしめたその実物がそこにあった。
数十日の波と船と蛮地ばかりの熱帯とを通って来た矢代の足はこのときから少しずつ硬直
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