し始めた。彼は太股を撫でながら日本人が文化が分るのどうのと云ったところで、それは全くわれわれ東洋とは違った文化だとそろそろ観念もし始めて来るのだった。


 夕食のころになって矢代たちの一行は街へ降りレストランへ這入った。前には道路をへだて、夕日に輝いた海が淡紅色の水面をひたひたと道路の傍まで湛えていた。海へ下って来ているあたりの街には海草の匂いが立ち流れ、家の中の人人の顔まで照り返った夕日に染り、花明りによろめく蝶のような眩しさだった。店の客たちは海の方を向いたまま、牡蠣の貝にナイフをあて静かに舌をつけて楽しんだ。
「さアさア、フランスのパンが初めて食べられるぞ。」
 と沖氏は揉み手をして笑った。この元気の良い老人もようやく疲れが出て来たらしく、椅子に背をぐったりよせかけて食事の支度の出来るまで動かなかった。
「いや、それより何より、先ずマルセーユの葡萄酒を飲もう。おい、葡萄酒。葡萄酒。」
「うい。」
 軽くあっさりした女の返事があって、赤と白とが並べられた。今は一同、互に恙なくここまで来られた健康を祝すために無言のうちにコップを上げた。一瞬、かつて船中では見られなかった厳粛な表情が
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