「ここは男の跛足の多いところだね。」
 と久慈は窓にしがみ付くようにして矢代に云った。
「大戦があったということが一目で分るもんだな。」
「そう云えば、笑ってるものが一人もいないや。」
「笑ってるどころじゃないよ。これだけ人がうようよしているくせに、話してる者もいない。何をいったいしてるんだろ。」
 巨大な街路樹の葉蔭で流れている人々の顔も青白く、疲れているように口をつぐんだまま、誰も彼も眼だけを異様に鋭く光らせているだけだった。
「これや、もうヨーロッパ人は、考えることは皆思想より無いのだね。豪いもんだ。」
 と久慈は云った。分らぬ答案ばかり陸続と出て来るうちに車は旧港の桟橋にかかって来た。すると千鶴子たちを乗せた一団の車と一緒になった。二つの車を乗せた桟橋はぷつりとその部分だけ切り放されると、海の上をそのまま対岸の方へ辷っていった。
「ノートル・ダムですよ。向うに見えるのは。」
 と案内の者が云った。
「おや、あそこに、僕らの船が見えるぞ。」
 と沖氏が云った。陸へ自動車が上ってから、しばらく坂を登ったところに数百尺の高い断崖が立っていた。その上にノートル・ダムがある。一行はエ
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