は千鶴子の兄の由吉の噂を中心にして拡がった。今ごろはロンドンへ着いたばかりであろうとか、枕木嬢とその許婚の伯爵との間に挟まれた由吉の軽妙な態度とか、それらの談を笑わせながらするのは、肥満した体に似合う薄めの縞のワイシャツを着た平尾男爵であった。若手の外交官の間でもっともフランス語に熟達している噂の高い速水は、クレギイ会談の通訳の労もとったりしたにも拘らず、スイスへ転任して以来の大石の書記官ぶりを聞くよりも、彼から山登りの談を聞きたがった。大石はパリで久慈や矢代が見たとき、誰より眼光鋭く神経質に痩せていたのも、今は見違えるように肥っていて、絶えずにこにこ笑っていた。パリの上流のサロンを落す名人だったこの大石ほど風貌の急変した人はなく、またこの人物ほどどこの婦人からも好かれたものも少なかったが、彼はいつもあまり喋らなかった。
「いったい、この懐石料理というのは、どういう意味だい。名前だよ。」
 と突然、音楽家の遊部が云った。誰も一寸談をやめたが、彼に答えたものは一人もなかった。
「それや、河原の石を集めて、漁ったばかりの魚を焼いて、そこで食うのが一番だということさ。」
 と東野は云った。

前へ 次へ
全1170ページ中1154ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング