始めよ。でも、真黒に見えるのね。」
と、千鶴子はささやくように耳もとで云った。まだ気づかずに千鶴子はいるのだろうか、白鳥の巣とはそのままには解せぬ比喩とも矢代にはとれるのである。
「あら、よく辷るわ。あなた危くってよ。」
「なるほど。辷るな。」
と矢代は云いつつ足もとの湿った芝生に力を入れた。しばらく、二人はそのまま闇の中に立っていると、傍にいた久慈はいつの間にか遠のいて、上の方でアンリエットと話しながら歩く靴音が聞えて来た。
「もう一度お昼に来ましょうね。こんなに暗くちゃ分らないんですもの。」
白鳥を見るだけでは少し二人の時間の長すぎたのをどちらも感じ合うと、千鶴子は矢代から放れて芝生を登った。矢代も後からついて行ったが、いつ人影に突き衝《あた》るか分らぬ不安が歩く度びに足を遅らせた。間もなく、アンリエットと久慈の姿もどこにいるか分らなくなっただけではなかった。千鶴子の姿も全く闇に呑まれて見別け難くなった。
「これは困った。千鶴子さんどこです。」
こう云ってももう千鶴子の声はしなかった。矢代は眼の見えなくなったのは自分だけなのであろうかと、靴さきを盲人のように擦らし擦らし歩い
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