るんですよ。こ奴だけはどう仕様もない悲劇なんだが、――」
 もう二人の結婚は定ったのも同様だと思う安心で、矢代はそういう軽い歎息を洩らした。喜びいさんでいるにも拘らず、ぐったり木椅子に倚りかかるのは、自分も著くべき所へ達した疲れのためかと、彼は対岸の芝生に生えた赤松の肌を眺めて思った。ひと叢の羊歯が沼に対ってたれ下っている水際に桜の弁が溜っていて、右方の繁みの隙から、裾に風を孕んだ鞦韆の高く跳ね上って来る脚が白く見えた。
「式の日はあなたの方で決めて下さる。」
 千鶴子は黙っている矢代に少し不服そうな和ぎで訊ねた。ここまで追いつまって来ていながらも、まだ一度も二人の結婚のことについて口に出したことのなかった自分が何ぜだか分らず、それも一足跳びに跳んで式の日を訊かれた今だったが、彼は、その千鶴子の突然のことさえ別に異様なことだとは思えなかった。
「いつがいいかな。」彼は呟くようにそう一言云っただけでまた沼を見るのだった。
「お宅の方の御不幸のことも考えなければいけないし、あたしには分らないわ。」
「それもあります。」
「じゃ、やっぱり秋ね。」
 矢代もそのころになるかと思われたので同意した。そして、その他に何か云わねばならぬ重要事項がひしめいているように思われるのに、一応隈なく探して見て後も、何もなく、その他はぼんやりとただ他人に任せて置くべきことばかりのように思われ、彼は沼の周囲の垂んだ鉄柵の鎖を眼で追いつつ、なお云うべきことを考えてみた。暫く二人の黙っている前で、鯉がぐるりと尾で泥を濁しあげては廻游して行く水面に、閑かに春の日が射していた。
「母もあなたのことはもう気附いている風なんだが、それも僕からあらためて云ってみて、それから東野さんに仲人を頼みたいと、こう考えてるんですがね。どうですか、ゆっくりしてるようだが、しかし考えてみると、まだあなたとお会いしてから一年よりたっていないんですからね。一年じゃ少し早すぎるとも云えるですよ。」
「でも、ゆっくりなさる理由は、お父さんの御不幸だけでしょう。」
 千鶴子は、矢代の浮き浮きとしない様子に物足りなさを覚えた視線で訊ねた。彼はそうだと答えた。そして、いま少し自分も浮き立つべきだと思ったが、蘆の嫩芽の微風にそよいでいる物静かな沼の光りに、我ながら憎くなるほど落ちつきが出てしまい、却って、千鶴子に対し気の毒な遠慮のある思いさえされて来るのだった。
「京都へはいつお発ちになって。」
「ちかぢか行くつもりです。」
「なるたけ早くお帰りになって下さいね。あたしもお邪魔でなければ、御一緒したいんだけど――お母さんきっといいって云うと思うの。でも、お宅の方の御都合もあるでしょうから、御遠慮さしていただいてもいいんですのよ。」
 千鶴子は足袋の筋目にパラソルの先をあてがい、前に蹲み込む姿勢で横の矢代の表情を窺うように云った。父の亡くなる前から一度京都へはともに行くのも、たしかに二人に勉強になることだという意味で、千鶴子たちに矢代は話したこともあったこととて、いま彼女からそう云われて返事に窮する筋合もなかったが、とにかく、この度びのは父の骨を携えての旅行であった。そのような常の約束とは性質の違う旅の日には、遊山のように浮き立って誘う気分にもなれず、無理にも随いたい意の彼女から出るまで、この返事は待つことにしたいとも考えられた。
「昨夜も実はそのことで、妹にぜひ連れて行けと駄駄をこねられましてね、京都までならともかく、九州の方へも行くとなると、僕も承諾しかねてるのです。」
「でも、お妹さんお伴したいと仰言るの、御無理もないわ。お連れして上げなさいよ。」
 千鶴子は矢代と幸子との間にあった昨夜の不明瞭な喰い違いの様子も敏感に察したらしく、場所には似合しからぬ唐突な笑顔だった。矢代は京都行きの決定についてはそのまま曖昧な気持ちを残し、それ以上はどちらへとも押し切ることを出来ぬこのような難渋も、以後家庭生活に這入れば山積して来るであろう重圧感を覚えたまま、さきから眺めつつつい忘れていた、千鶴子の清潔な白足袋の下の水面へ絶えずぶくぶく噴きのぼっているメタン瓦斯の泡沫を看守り、どのようなことも日の光りのもとで切り開かれぬことはあるまいと、彼の覚悟も自ら定って来るのだった。矢代は古沼の底に漸く足の届いた思いにもなり、「さア、行きますか。」と云って木椅子から立ち上った。そして、千鶴子にこの沼の睡蓮を見て何か思い起すことはないかと訊ねると、
「あッ、そうそう、あたしさきからあなたに云おうと思っていたところなの、ほら、ね、チュイレリイの――」
 と千鶴子は急に眼を耀かせて矢代を見た。
「モネー館。」
「そうそう、モネー館、あのときは蛙みたいに、まん中のベンチに坐って、二人でお腹を空かせていたの思い出すわ。ほんとにこ
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