れた、他の多くのものにも共通した旅愁ともいうべき旅人の特長だった。まったく事情の違う西洋という抽象の世界に急激に入り込んだものに突発して来る旅の錯乱に、批判の根拠の移動する不決断に伴って当然に起る、自己喪失の病いを植えつけられ、自分を蔑視する苦しさもあきらめに変えてしまう。そのような内地にあり得ぬ不具者となって帰朝して来るものの多い中でも、東野はまだ東洋人の精神を喪っていない方の一人だった。実際、西洋の旅は、東洋人にとっては難かしい狂いの連続といえばいえるものだと、矢代は、欄干に巻き結ばれた船のと纜《ともづな》に凭りかかって考えるのだった。そして、由吉や塩野らの一団の上を見廻しながら、これらの人人も何らかの病根を抱いてそれぞれ苦しんでいる一群れだが、果して存命のうちにその病いは取り去ることが出来るかどうか、疑わしいことだと思った。
「船がここの港のあの灯台のところまで入って来たときに、突然海中へ飛び込んで、自殺した婦人があったということを聞いたが、――それは外国へ行くときに、事務長からコロンボあたりで聞いたんですがね、どうもそのときには、よくその婦人の気持ちが分らなかったが、帰って来てみると、何んとなく僕には分って来ましたね。」
 と矢代は真紀子の今の身の上に通じるものもありそうに思えて千鶴子に云った。
「あそこで、まあ――」千鶴子も真紀子の船と灯台との間を眺めつづけていた。
「あたしはあそこを船が入って来るとき、何んだかしらわくわくして嬉しかったけど、これで反対の人もあるのね。そしたら、やはりそうかもしれないわ。」
「僕はシベリヤから満洲里へ入るときだったな。あのときは忘れられない興奮を感じた。生れて初めて清浄無垢な気持ちになったと思ったが、――」
 こう云いつつも矢代は、千鶴子の船がこの埠頭へ入って来るとき出迎えもしなかった自分の理由が、何か得手勝手なつまらぬ思惑のように思われて苦痛を覚えて来るのだった。そして、突然右隣りにいた画家の佐佐の方へ身を捻じ向けて訊ねた。
「あなたはどうでしたか、僕は、外国の旅というものは、自分の中にどういう不潔なものや病根があるのか、検出しに歩いているようなものだと思ったんですが、つまり何んというか、隅隅から自分を照し出してみる、まア、レントゲン反応で自分を検出しているみたいなものじゃないか、と感じたんだが。」
「あそこは石みたいなものだからなア。」と佐佐は、例の鋭い眼に一寸微笑を泛べたきりだった。
「それも外国の石でね。」
「僕は帰ってから蓮の画ばかり描いてるんですよ。」佐佐はそのとき急に黙って沖の方を指差した。
 沖に碇泊していた東野らの船が徐徐に動き出して来たのだった。港内でもっとも大きな船だったので、通路を邪魔している小舟らは逃げ走って路を開けた。その中をおおらかな速度で姿を顕して来る船首の風貌は、満場の注視を浴びるに適した偉容で、黒い船体に純白の明快な甲板は、帆に風を孕んだ宝船の近づくに似た、静静とした期待を人人に与えて美しかった。歩廊に溢れた出迎えの群衆は帽子を振るもの、手巾を靡かすものでどよめき返した。初めのうちは甲板に並んだ乗客らの顔も、ただ黒い一線となって映っているに過ぎなかったが、近づくに随って、巨大な建物の迫るようにあたりの空をぼっと暗くさせ、波を縮め、見事な長い船体を着実によせて来た。鉄板から滴るような潮の香が歩廊の方まで漂った。飛び散って逃げた小船もまた急いで近より、もう荷揚げの支度にとりかかるものもあった。甲板上の船客の顔を探すものも、目的物を見つけたものらは、再び顔を充血させて帽子を激しく振り廻した。どよめきが次第にあちこちから膨れ上って来るにつれ、船は歩廊の高さを遥かに抜いてぴたりと動き停った。纜を投げかけたり、船梯を懸けたりする多忙な中でも、出迎えのものらの熱情的な騒ぎは一層激しくなったが、それに引きかえ船上の客は、妙に冷く静り返っているように見えるのが、この日もこの埠頭の特長であった。
「いるいる。おーい。」
 と塩野はまっさきに平尾男爵の姿を甲板から見つけて呼んだ。間近いように見えていても、船上との間隔はかなり離れている上に、周囲のどよめきに船まで塩野の声はとどかなかった。男爵は外人たちと列んでいてもそれらを圧するほど体が大きくく、ゆったりと鷹揚な身振りで片手を上げたが、まだ一同を探しあてない様子だった。その横から、いつもの無表情な東野が唇を割り、日に焦げた色で、こちらを見ていた。真紀子の姿は初めは見えなかったが、暫くして、前髪を高く締め上げた色白の婦人が東野の肩に片手をかけて、ひょっこり男爵との間から顔を出した。それが真紀子だった。
 船は長途の航海をやっと終えたという風に、潮湿りの錆を滲ませた胴から水を吐いた。船と歩廊との間の梯子のあたりに、匂うような
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