を探るように、鋭くちらちらと眼を女たちの上に光らせた。ヴァイオリンを弾いている女だけは、曲に合せてゆるく身体を動かしていた。見ているとそれぞれ女たちは隠花植物のように自分の位置から動かぬままにも、どこか湿った楽しみに耽っている眼差しである。あたりに漲っている薄汚なさも工夫に工夫を積んだ結果の巧緻なリアリズムに近い芸があった。
 久慈は自分が舞台に上った生身のお客のような感じがした。東野や矢代をふと見ると、いずれも役者になったことも知らず、苦苦しくふくれている芸無し猿の二本の大根に見えて来た。
「あ、これやもう、現実を抽象してしまっておる。」
 久慈は思わず膝を撫でながらそう思い、あらためて女たちの想念の中まで見たいと、歩くときの手の曲げ方、足の開き具合や鬘のつけ様を見るのだった。
「さア、勘定。」
 と矢代は云うと、一人の女が久慈の傍へよって来た。
「あら、もうお帰り。」
 と女は云いつつ久慈の膝に手をかけた。幅広い男の体温がむっとして吐く息が頬に荒くかかった。それには流石のパリ贔屓の久慈も寒気を感じてもう我慢が出来なかった。
 矢代の後から久慈と東野も外へ出たが、出ると同時に三人は声を合せて笑い出した。入り代りに旅行者らしい三四人の客がまた中へ這入っていくのを振り返り皆は顔を撫でた。
「ああ気持ちが悪い、どっか、せいせいするところがないかね。吐きそうだ。」と矢代は先に立って山の頂上へ登りながら、「あれはいったい何んという思想だ。」
 と久慈に訊ねた。
「いや、実はおれもあれには参った。」
 久慈のそう云う声に、皆の夕刻までの論争の意気込みも一時に吹き飛んでしまった形だった。
「あそこは僕も知らなかった。この次は機関銃だぞ。上のお寺へ参るのも骨が折れる。」
 と東野は云ってひとりくつくつ忍び笑いをした。頂きの寺の横の広場に二十本ほどの房を垂らしたビーチパラソルが開いていて、その下に弁慶縞の敷布のかかった丸テーブルが一面に並んでいた。ここのテラスも他には見られぬ古風な野天の仕立てだった。どのテーブルの上にも矢車草の花影からランプがかすかに油煙を上げていた。客一人ない広いそこのテラスの中央に三人は陣取ってレモネードを命じたが、卓に肱をつきほッとするとまた誰からともなく笑い出した。共通の無気味な洞窟から逃げ出してきたばかりの捕虜という顔である。互に視線を避け合っている笑顔の間で、ランプのホヤがじいじい静かに蝉のように音を立てた。
「このあたりはびっくり箱だね。」
 レモネードを飲みつつ薄暗いあたりを見廻してそういう久慈に、矢代は、
「機関銃で撃ち合うというのは、それやどこだ。それもびっくり箱の口か。」と訊ねた。
「夜中にこのあたりのアパッシュ連中、縄張り争いでやり合うらしいんだよ。しかし、東野さん、それや本当にやるんじゃなくって、旅客優待の御馳走でやってるんじゃないですか。どうもこのあたりは少少怪しい。」
「それや、自分で識らずに優待していてくれるんだよ。」
 と東野は澄した顔で答えた。初めは何の意味か一寸分りかねる風の二人だったが、急にまた笑い出した。
「いや、案外これで市役所から月給でも貰っていて、さっきのカフェーじゃないが、実演の芸をやってるのかもしれないね。」
 と久慈は今度は生真面目に考え込んだ。
「しかし、芸にしたって死ぬ芸だから芸にはならん。生きてこそ芸だからな。さっきのあんなのはあれは、あんまり生きすぎて間違ったんだ。芸はどこか一点だけ殺さなきア嘘だ。」と東野は云った。
「とにかく、今夜はその機関銃を一つ見届けようか。それとも、本物の女を見にいくか。どうも今夜は少し自然に還りたいね。」
 と久慈は矢代を見てにやりと笑った。
「とうとう甲を脱いだな。しかし、あそこのカフェーが本物の女だったら、僕らは今ごろこんなお寺の前なんかにいられるもんか。」
 と矢代は云って眼の前に聳えた白いサクレクールの塔を仰いでみた。
「じゃ、今夜は極楽往生としとくかね。どうもしかし、論争のない世界という奴は面白くないものだな。仕事がなくなったみたいで。いやに仲ばかり良くなるのは、これや、神さま何か間違ってるぞ。」
 と久慈は云ってお寺の塔を振り仰いだ。
「このお寺を山の上へ建てるだけで、どんなにパリの人間馬鹿な苦労をしたか知れぬのだからね。毎晩機関銃ぐらいは鳴ろうというものだ。むかしの人の苦労を忘れちゃ罰があたるぞと、お説教しているようなものだ。」
 東野はお参りに山へ来たのを思い出したらしく、軽くサクレクールに向ってお辞儀をした。矢代の眼はそのとき一寸光りを帯びた。
「東野さん、あなたもやっぱり、人間の苦労が馬鹿に見えることがありますかね。ときどき僕にもあるんだが。」
「いや、それや、僕が第一、せっせと馬鹿な苦労をしたからだが、しかし、誰か
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