猫が五疋もいて、中の一疋がこの朝死に、この葬いに幸子がいって悔みに花束を出すと、声を揃えて一家が泣いたという有様を、妹は口真似、手真似までしているらしくおどけた笑い声だった。
 あの快活な笑い声へ、ぱしゃッと水を浴せるように、いま結婚の話を持ち出すことを考えると、矢代は二階から降りて行くのもまた怯むのだった。しかし、こういうことでは、いつまでたっても決しかねるばかりだと思い、ちょうど折よく怯んだのを幸いに、その自分の弱味を摘まみ出し前へひき据える気持ちで、彼は自分から階下へ降りていった。何んとなく猫を一疋摘まみ下げている風で、笑いのまだ消えない二人の傍へ彼は静に坐ってから、お茶を母に先ず頼んだ。
「いまお呼びしようかと思ってたところよ。」
 と幸子は母に代り、急須に茶を淹れながら云った。
「兄さん聞いてらっしたんでしょう。猫のお葬式よ。人間とちっとも変らないの。お隣り。」と幸子は肩を竦めそこだけ声を低めて、またくっくっとおかしそうに笑った。
「でも、それだけにしときなされば、御功徳になるものですよ。そんなに出来るものじゃありませんよ。お優しい方だからね。」と母は笑いを停めて云った。
「でも、猫であれだけ悲しんで泣くのなら、人間が死んだらどうなさるかしら。あれ以上は悲しめないわ。まア、みいちゃん、こんなになって、って、おんおんお泣きになるんですもの、あたし御挨拶のしょうがなくて、弱ったわ。御飯もその日は誰もお上りにならないんですって。お線香上げて、お華を上げて、お坊さんまで来たりして。」
「これこれ。」と母は幸子の声の上るのをたしなめた。
 たとい猫の葬いであろうと、父の死後まだ日数もたたぬのに、そういうことを口にする幸子の鈍感さが矢代には面白くなかった。そのくせ誰より父の死を悲しんで泣く幸子だのに、明るいときにはそれも気附かず矢鱈と浮き上っているのが不審だった。母が菓子を持って来て二人の前へ置いた。矢代は黙って茶を飲みながら、幸子の話の落ちつくのを待っていたが、幸子はそれからそれへと独り喋りつづけた。友達のこととか親戚のこと、隣家の女中の噂などと、人を笑わすことの巧みな幸子の話を聞きつつも、矢代は、この妹のいる前ではやはり今夜も駄目だとあきらめようとするのだった。
 そのうち話も衰えて来て皆が黙り込んだとき、幸子は急にじろじろ兄を見始めた。そして、眼を異様に耀かせ気味悪そうに机の上から肱を脱すと、身を彼から除ける風に引いて、
「どうしたの、兄さん。」と訊ねた。
 いつもなら少し変ったことのある場合すぐ勘づく妹にしては、今夜は遅すぎた方だったが、それでも、早や気づかれたかと思い矢代は動悸が早く打った。
「先日の叔父さんの話ですがね。出しぬけに失礼ですが。」
 矢代は妹には云わず母に対ってそう云いかけると一寸黙った。母は「ふむ。」とかすかに云っただけで、じっと俯向いたまま澄んだ表情に変った。
「式はいつでも良いのですが、僕の結婚のことは、僕に任せていただけませんでしょうか。」
 矢代はこれだけ云ったとき、ふと後はもう云わずとも良いような気持ちがした。彼は織部の湯呑の碧い口を、つよく拭くように撫でている自分の指さきを見ながら、何か煮えるように熱くなった身の裡で溶け崩れてゆく別の悲しみを感じた。しかし、一切がこれで済んだ、そう思うだけでも彼はその後の母の答えをもう待っていなかった。
「あなたの好きな人なら、それで良いでしょう。」
 母は前からこんなときの答えを定めていたらしい低い声で云ってから、眼をぱちぱちさせ、まだそのままの表情で畳の上を瞶めていた。彼はそれだけで身体が底から温まるように感じた。飛び立つような興奮も覚えた。
「どうも有りがとうございました。」矢代は湯呑みを放してお辞儀を深く丁寧に一度した。
「詳しいことはいずれお話しますが、外国で知り合になった人だものですから。――お父さんの骨も拾ってくれた人です。」そう彼が云うと、「ふむ。」と母は急に口もとに少し笑みを泛べて頷いた。
「どうもすみません。」
 彼はこのときは謝罪の気持ちがいっぱいになってまた頭を下げた。そして、すぐ立って、その足で別室の仏壇の前へ行き、そこで父を頭に泛べて礼をした。少し遅れて後から仏壇へ来た母と擦れ違いに、彼は二階へ上ろうとすると、踏む段ごとに、母と何かが断ち切れたように感じられて涙が出て来た。もう一度前に戻りたい気持ちを見捨て流れに身を任すような切なさで、声を抑えて彼は泣いた。
 彼は二階で独り坐っていても母との別れの恐しさがまだ続いた。そんなに自分を引きよせていく見えぬ千鶴子がこのときは憎憎しく、成就した結婚の形のすっきりと整っていったのに反して、首垂れるようなふかぶかとした寂しさを覚えて来るのだった。

 二三日の間、矢代は母から結婚の承諾を得
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