た。その中の一番最近にパリから帰って来たという若い外交官が、傍の佐佐という画家に突然云った。
「そら、あのクーポールにいたスペイン人のボーイね。よく僕らの傍へ来た男があるじゃないか。あれがね、新聞を見ていて僕に、もうこうしちゃいられない。自分の方は負けて来た、いよいよ自分も祖国へ帰って戦う、と決然として云ったよ。どうもあれは、反フランコ派の方らしいんだが、しかし、どっちにしたところで、僕はそのときのあのボーイの顔色には驚いたね。決死の色だったよ。」
一同は暫く言葉がなかった。矢代は黙って聞きながら、クーポールにいたスペイン人の顔をあれこれと思い泛べるのだった。そして、もし自分の国がそんな状態になったなら、自分もやはり千鶴子のことなどもう考えてはいられなかろうと思った。パリにいる当時、たとい嘘だったとはいえ、日本と中国とが戦争状態に這入ったというニュースの大きく出たことがあったが、自分も帰って直ちに戦う覚悟をしたその日のことを思い出した。そして、そのとき第一に頭に泛べたことは、ある誰か詠人の分らぬ衆人の中にひそんだ歌だった。
「おん前に捧げまつらん馬曳きて峠を行けば月冴ゆるなり」
矢代はこの歌が好きだった。もう何の飾りもなく心のままに歌い、胸中澄みわたっている人馬一体となった爽やかな調べの籠った素朴さがあった。それも古人の歌ではなく現代人の作であるところに、心を別け持ってくれている嬉しさを矢代は感じた。
「しかし、どうも中国も危くなっているね。スペインの内乱とは関係があるよ。」
とこう云い出したのは由吉だった。
「それはある。他人事じゃなさそうだ。」
と外交官の速水が、高い尖がった鼻を手巾で拭きながら云った。
「これで世界歴史を通じて調べたものの云うことだと、二年間の平和を得るためには、人間は二十四年間戦争をしていることになってるそうだよ。そうしてみると、平和というものは、実に宝だ。徳川時代は三百年の平和だが、そんなのは殆んどないといっていいんじゃないか。」
会話の進むにつれて、矢代は、パリの真紀子の部屋で中国人の高有明と議論をしたある一夜のことを思い出していた。高は間もなく帰るころだと思うと、なおよく彼とも話してみたいいろいろなことが泛んで消えなかった。
しかし、丁度、こういう緊張した話の盛り上って来ているところへ、廊下の方から久木男爵が、
「どうも遅く
前へ
次へ
全585ページ中398ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング