った無数の死の中を透って来て蘇らせる音であった。キリストさえも蘇らせる音に聞えた。彼は坂路を頂きの方へ越して行ったがまだ踏まれぬ雪がますます深くなって来た。人家の灯はどこからも見えなかった。
 川は凍りつき氷の裂け目から流れ出ている水面だけ、僅に月に射し返って明るかった。水鳥が一羽ゆるい羽音をたてて飛んでいった。矢代は水面に明るく渦巻いている月の光りを眺めていると、どういうものか一度みそぎをしてから日本の中を歩きたい気持ちを強く感じた。もし千鶴子と結婚するなら自分はそれを済ませてからにしたいと思い、越後の国境いの高原の方へ出ていった。
 平坦になった路と並んで続いている瀬が、川床の石に捻じ曲り、綾を描いて潜り合う細流に月がますます冴え耀いた。


 矢代が東京へ戻ったときは、塵埃のかかる垣根から覗いた紅梅の蕾に粉雪が降っていた。樹の梢も薄紫の色を含み、早春の静かな歩みを知らせた照り翳りの日が多くなった。こういう日、塩野の写真展が資生堂の画廊で展かれることになった。矢代はバスの停留所まで出かけたとき、いつも見上げた欅は空から姿を亡くしていた。根元の太い切口が鮮やかな白さを残したまま、その周囲に広い空地が出来ていた。矢代は日光に満たされたあたりのさっぱりした表情を、移り変って来た新しい隣人を見る思いで覗いていたが、暫くはなじめぬながらも、最早や過ぎた日の歎きは彼には起って来なかった。
 資生堂へ行ったとき、ホールの受け付けの椅子の傍で矢代は塩野と会った。塩野はいつものときより少し興奮の面で近よって来て、
「長かったんだね、雪の中。――そうそう、さっきここに千鶴子さんいたんだが、お茶飲に隣りへ行ってるよ。行こうか。」
 と塩野の癖の無造作さで矢代を誘った。
「まあ、写真を見せて貰ってからにしよう。壮観だね。」
 矢代は壁面に並んだ数十枚のノートル・ダムの写真をひと渡り眺めた。見覚えの怪獣や尖塔、廻廊やステンドグラス、側壁やキリストの彫像など、大きく引き伸ばされた鮮明な姿で、一瞬カソリックの大本山の実物が矢代の頭の中に氾濫した。
 彼はベンチで混雑した気持ちを鎮めて順次に左の方から眺めていった。初めの間は気づかぬことだったが、間もなく額縁の中の尖塔の鋭い美しさから、再び危く胸を刺して来る刃を感じるのだった。彼はすぐ千鶴子と会うのだと思うと、今はそういう危い目も振り払って進ん
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