分の悲しみも察して貰いたい。」
 矢代はこういう意味のことを書いているときにも、強く西日の射しつけたモンパルナスの街の中で、
「ああ、もう頭の中は弾丸雨飛だ。僕はただ絶望するばかりだ。」
 とそう呟きつつ日光を避け避け細めた久慈の眼差しを思い出した。
「どっちも生還おぼつかないか。」
 矢代はそれに答えてそう云ったと思ったが、久慈も、二人のそのときの様子を思い出したらしく、相当に彼の手紙の皮肉は利いていた。
 しかし、矢代は、久慈のミイラとなった死骸を迎えに出る日のことを考えながらも、彼を乗せて入港して来る船の中には、恐らく久慈同様な生きた死骸を沢山積んでいるにちがいないと思った。そして、それらのミイラとなったさまざまな幽霊が、日本の内部へぞろぞろ散って行く図を想像すると、やがて何かの肥料にはなるだろうそれら死骸の土の中から、やがて芽を出し、花を咲かせる草木の色艶も考えられた。またそれは、何らかの意味で光沢も増すにちがいない。
 彼は久慈にも、応酬したくなった皮肉にそんなに書いているうち、日本に初めて襲って来た、激しい西洋の波の有様を次第に強く思い泛べるのだった。それは戦国のころから、安土桃山の時代に波うち上げて来たカソリックの激しさである。この精神の波は、僅か十数年の間に、日本の知識階級ほとんど全部の頭に浸入した。千五百八十二年、信長が殺された天正十年の正月に、九州のキリシタン大名の使節がローマに初めて出発して、八年後に持って帰った印刷機から吐き出された信心録のその拡がりの早さ、――それからまた、四十年後の寛永九年、全国に襲ったキリシタン迫害の暴風と、それに抵抗した大殉教の壮烈さ、――
 矢代はローマ帝国がキリスト教に示した大迫害と匹敵する、当時の日本の大弾圧の様を考え、そのとき殺されていった無数のそれらの生命力の行方を想い泛べるに随い、下ってそれから三百年後の今の世に栄えている、カソリックの姿もまた自然に頭に泛べざるを得なかった。それも、矢代の先祖の城の滅ぼされたのが、カソリックの大友宗麟のためであり、その子孫の矢代がヨーロッパで知り合って、現に彼を悩まし、ともすると一切の判断を失わしめる婦人が、同様にカソリックの千鶴子だった。
「栄えるためには、人は何ものかに殺されねばならぬのかもしれない。君のように。」
 と、矢代は久慈への手紙の中にそう書きながらも、このカ
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