のも困難だった。
「もう少し行きましょう。折角ここまで来たんですもの。抜けられるわよきっと。」
 また千鶴子は動き出した。矢代は汗が出て来たが仕方もなく暴暴しく裏白の絡りついた茎を踏みつけて云った。
「氷河をわたるのよりこっちの方がよっぽど骨だ。」
「でも、これは死ぬ危険はないわ。」
「しかし、無駄だこんなことは。」
 夫婦喧嘩のような云い合いをしているときでも、よろめき倒れそうな千鶴子を彼は手で掴んでひき上げねばならなかった。服のどこかが絶えず茎の歯にひっかかってぶりぶりと鳴った。ときどき立ち停っては森の梢が見えて来るかと空を仰いだが、行けども行けども羊歯の葉のようなぎざぎざの頭ばかりで、千鶴子もだんだん心細くなったらしかった。
「ほんとに失敗ね、御免なさい、こんな所へおつれして。」
「今さら謝ったって、何もならん。」
「だって、こんなに深いと思わなかったんですもの。どうしましょう。」
 棘にやられた手首の傷から血が出て来た。矢代はそれを毛物のように舌で舐め舐め云った。
「こうなれば日が暮れたってやるまでだ。さア、行きましよう。」
 今度は矢代が先になって片足で円を描くように一群の裏白を割るのと一緒に、片手でぐいとその次の頭をかき頒けるようにして、これを左右交互に繰り返して進むのだが、原始の人間は毎日こんなことばかりを繰り返しながら、後から妻をつれ子をつれて道をつけたのだと矢代は思った。それがパリの真ん中に人間の原動力の泉のように一点ここだけ残されているのだった。行くうちに裏白の叢は黝《くろ》ずんでねっとり湿りを含み、臭いもアルカリ性の強い朽葉の悪臭に変って来た。
「これや、冗談じゃない。とても駄目だ。」
 矢代は投げ出すように千鶴子を見て云った。
「駄目かしら、森さえ見えればいいんだけど。」
「見えたって、服が蕨の悪汁《あく》で真黒になりますよ。」
 矢代は茎の中へ片手をさし入れてみて顔を顰めた。
「風が通らぬから蒸せるんですね、これ、むッと熱い。」
 千鶴子も手を入れかけたが、
「あら、ほんと、暖いわ。」と云ってねばねばする手さきを葉で拭いた。一面の蕨の叢の中は互の温度に醗酵してヨード・チンキになっているのだった。矢代はもうくたびれて後へも引き返せないので、人の声のする森の方へ耳を傾けているとどこからかかすかにテニスのボールの音が聞えて来た。
「テニスの音ね。
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