こちらへ顔を突き出し、歯をむき出した。
「これや、何云うても仕様がないわい。料理をくれん方が勝ちじゃ。出ましょうや阿呆らしい。」
と沖は急につまらなそうに云うと立ってもう帽子を冠った。久慈や矢代らだけではなく皆も沖の後からついて階段を降りていったが、罵声が一層強く後の方でするだけでボーイは挨拶一つしなかった。
出たところの往来はパンテオンの方から下っているサン・ミシェルの坂だった。坂道の繁しい人通りの中を左翼の新聞売子が叫びながら通る。その険しい声の後から右翼の新聞売子が、またそれを揉み消すような声を張り上げて迫ってゆく。その後からまた左翼、右翼と、続続とつづいて通るあわただしい夜のカルチェ・ラタンである。学生街であるからここは王党という学生の理想が一番勢力を占めているので、新聞は左翼も右翼もあまり売れない。目的はただ王党の中に左右の喰い込む術にあるらしかった。
「明日の船で帰られるのなら、ひとつ今夜は遊びましょう。私もパリ祭を見ればロシアを廻って帰りますよ。」
矢代のこう云う案内で四人は附近のアルザス料理を食べに坂を下った。セーヌ河近くのこのあたりは久慈は今日のうちにもう二度も来た。ノートル・ダムの尖塔の見える薔薇垣の傍のテラスで、羊や鱒を註文してから五人は空腹を柔げると、まだ西洋を見なかったころの印度洋や紅海あたりの船中の食卓を思い、話は楽しくいつまでも尽きそうになかった。
「しかし、何んですよ。これでわたしらは運悪う大風の中へ来たようなものでしたが、さんざんこちらで揺り廻されてほッとして帰ると、今度は日本にここどころじゃない、大風が吹いてるんじゃありませんかな。二・二六というのはわたしらは見なかったけれども、あの話の模様じゃ、ひと通りの風模様じゃありませんぜ。外国人もみな驚いてますね。日本というところはドラゴンが政治を動かしているそうだが、今度は竜が跳ねたのかといいよる。」
沖の云うのに三島はドイツで聞いたのだと云って、まるで戦場のような空気の漲っている東京市中の話をした。嘘か真事か一同には分り難かったが、話半分にしても市民の狼狽した話などを聞かされると、日本に吹きつけている不連続線はヨーロッパどころの風ではなさそうに久慈には思われた。
「僕らはまだ若いから分らないのかもしれないが、どうですか沖さん、青年がこんなに沢山考え事をしなくちゃならぬ時代なんて
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