ーイが去ると東野は笑いながら、どういうものか、
「何ぜ饂飩《うどん》にしたのです?」と訊ねた。
「僕はフロマージュ附きの饂飩は好きでね。もう暫く食べないんですよ。」
「じゃ、鰈は嫌いじゃないんだな。」
「嫌いじゃない。鰈の薄味は好きですよ。」
「じゃ、まア好きとしときなさい。つまりそれだよ。」
と東野は云って煙草に火を点け、敵をゆるゆる料理するように遠方から締めて来た。東野よりずっと若い久慈は、論敵の構想力の廻転が妙な風に食い物から来たのを感じると、いよいよこれは敵を誤ったと悟り始めた。
「僕はこのごろ人を見ると、ひっかかりたくって仕様がないんだが、あなたも少し神経衰弱じゃないんですか。云うことがどうも変だ。」
「何が変だ。君は鰈か饂飩かと考えて、饂飩にしただろう。まア、そんなことはどっちだって良いようなものの、ひとつ饂飩も鰈も二つとも食ってみたら、どうですか。饂飩の栄養価と鰈の栄養価とを分析して食わなくちゃ、腹の足しにならぬと君は云うのでしょう。しかし、そんなことを考えて食っていちゃ、せっかくの美味さも不味くなって、食った甲斐がないと考える頭もあるわけだ。」
ははアそれが東野の云いたかった中間かと思うと久慈はげらげら笑い出した。
「それやあなたも神経衰弱だな。右も左もむしゃむしゃ神経衰弱で食おうというんだ。僕も一つその手をやるかな。」
「右と左だけじゃない。上も下も真ん中もだ。」
東野は一層久慈の頭を拡大させ、混乱させる原野の中へ引き摺り出し、さアいよいよ用意をしろというように落ちつき払って笑った。久慈は頭の中に暈いを感じ、一寸立ち停った姿で鰈と饂飩の二つの形に思考力を集中した。
「しかしですね。ここに鰈と饂飩の栄養分の統計表がはっきりと出ている場合に、その表を作った頭以上の精確さはないわけでしょう。その精確さを信用せずして知識はない。科学主義というのは、その精確さを信頼する人間の頭脳の聡明さを云うのでしょう。あなたはそれをも簡便主義だと云われるんですか。」
東野は何か云いかけたが、広いホールにだんだんと詰って来た外人たちを見廻してから、突然、
「君、モンマルトルへ行った?」と訊ねた。
一泡吹くべき急所へ来て他人事云うとは卑怯だ、と久慈は一瞬顔に血の気が昇るのを感じた。
「君、夜の十二時過ぎのモンマルトルへ来て見給え。いつでも軽機関銃でアパッシュ連中が撃
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